仕事後、西九条の大福湯に向かった。
足繁く通う時期もあったが、いつのまにか足が遠のいていた。
訪れたのは何年ぶりのことだろう。
ひそやか流れる無名の演歌が場末感を醸し、懐かしさが込み上がる。
無人のサウナでしばしくつろぎわたしは昔日をしのんだ。
たまに二男を伴った。
彼がサウナの愉悦を知ったのはこの風呂でのことだった。
小学5年の頃のことである。
ほどよい温かみにふんわりカラダがとろけて、得も言われぬ喜びがじわじわと湧き上がってくる。
癒しという概念を体感し、以来、彼は大の風呂好きになった。
事務所でわたしは仕事に勤しみ、彼は勉強に励んだ。
充実した一日を終えた後、サウナが二人にとって憩いの場となった。
あの当時、わたしと二男は趣味を同じくする連れ同士のようなものだった。
サウナで寝そべる小さい時分の息子の姿が目に浮かぶ。
彼が喜ぶからわたしも喜んだ。
二男の喜ぶ顔を思い出し、わたしはひとりサウナで微笑んだ。
家に帰ると長男がリビングでくつろいでいた。
パンツ一丁でTシャツ姿。
この日は芦屋のセントラルスポーツでたっぷりトレーニングし、サウナにも入ってきたのだという。
わたしにとって息子はいつまでたっても子グマちゃんであるが、背中を見ればもういっぱしの男。
肩幅広くケツが隆々とし、実に頼もしい。
リビングをうろつくその体躯に夫婦で目をやっていると、まもなく二男も帰ってきた。
荷物だけ置いて彼は公園でトレーニングをし、その後、リビングで筋トレをはじめた。
彼もパンツ一丁でTシャツ姿。
二男もわたしにとって永遠の子グマちゃんであるが長男とはまた違ったフォルムで背中に男気がみなぎっている。
肩ががっちりしていてケツの隆起が勇ましい。
その様が力強くて男の後ろ姿として申し分ない。
効果を実感すればするほどやる気高まり喜びが増す。
家内は食事の支度が楽しくて仕方ないのではないだろうか。



