ワーグナーの「タンホイザー」序曲を聴きながら手術のイメージトレーニングをする財前教授みたいに、家内は寝床のなかで料理の予行演習を行う。
だから早朝からスムーズに食事の用意が整っていく。
麺が茹でられ具材が調理され、同時、お椀が温められて、ひとつのラーメンが出来上がり、かつ同時、卵が茹でられハムが焼かれアボガドが切られベーグルサンドが次々仕上がっていく。
起き抜け前のイメージトレーニングがあってこそ、そう言って家内は財前教授の動きを真似た。
二男は出来立ての特製ラーメンを美味しいと言って食べ、身支度を終えたときには弁当が出来上がり、携行食として大ぶりのベーグルサンドを三つも持たされた。
学校で弁当を食べ引き続きベーグルサンドを手にしたとき、二男は驚愕の目で見られ言われたそうである。
なんやねん、おまえの弁当。
二男の友人らは知らない。
誰もが寝静まる未明の時刻。
すでに家内の頭のなか数々の段取りを経て絶品のベーグルサンドが仕上がっている。
朝、家内の頭のなかにあったものを二男は手にしているのだった。
日曜の朝も同様。
二男のために肉が焼かれデザートは紅まどんなとりんご。
わたしには、ライ麦パン。
夫婦でいつものとおりジムに出かけて目一杯運動し、帰宅後すぐに家内は昼食の支度にかかり、たちまちのうち歯ごたえあって最高に美味しい太麺パスタが仕上がって、二男にはいちごとハーゲンダッツのデザートもついた。
だからさすがに疲れも溜まるだろう。
どこか出かけようと話していたのに、リビングで撮り溜めしてあったドラマを見るうち家内は寝入った。
床暖がきいてポカポカで、毛布はフワフワ。
窓の外には晴れ間が見えて、公園で遊ぶ子どもたちの楽しげな声を受け雲がゆったりのどかに空を渡っていく。
家内を起こさぬよう、わたしはそっと出かけてサウナに向かった。
ジムでは底辺に近いカラダであるが、風呂では結構上位に位置する。
自身のカラダを自画自賛しつつ、久々のサウナで一時間ほどくつろいだ。
そろそろ家内も起き出す頃だろうと見計らい家に戻るが、家内はまだ深い眠りのなかにあった。
夕飯のために起こすなどモラハラの部類に属す暴挙だろう。
それでわたしはまたもそっと出かけて、ひとり駅前の焼鳥屋に向かったのだった。
行楽の余韻にひたる平和な家族の笑顔を周囲に見ながら、ビールを飲んで焼き鳥を各種食べ熱燗に移る。
長男は月曜の試験に備えて勉強中で二男も自習室で勉強中。
家内は家で睡眠中で、わたしは焼鳥屋で飲酒中。
こう見えてわたしにも家族がいる。
焼鳥屋の四人掛けテーブルを占拠し不敵な笑みを浮かべ、わたしはひとり団らんの時間を過ごすのであった。
もちろん、自分だけ食べて済ませるわけがない。
家内が食事の支度をせずに済むよう、気にいるかどうかは別として持ち帰りの品をあれこれ頼み、それが出来上がるのを待つ間、仕方ないのでわたしは日本酒をお代わりし、追加で餃子を頼んだ。