KORANIKATARU

子らに語る時々日記

大事なことはすでに行間に胚胎している

朝から二男は牛しゃぶを食べている。

その前に座り、わたしは新聞を読む。


二男が言う。

部活の高2メンバーで新しくラインのグループを作った。


カラダを大きくするためたくさん食べないといけない。

その意識化のため、何を食べたかラインで報告し合うことにしたのだという。


鍋に素麺が投入され、ようやくここからわたしも朝食への合流を許された。

奈良名産、ヤマカツの素麺であるから実に美味しい。

ひとすすり、ひとすすりを深く味わって食べた。


食事を終え二男は学校へと向かい、わたしはコーヒーを飲みつつ大阪星光学院中学66期の卒業文集を手に取った。

先日泊まりに来た面々の文章から読み始め、ざっと全体を眺めて感じた。


中3時点でこの格調と洗練。

そこらの大人など軽く凌駕するレベルの文章が居並んでいて驚いた。


内容についても星光の教育理念が端々に反映されていて、学校の特色が鮮明となっていた。


勉強や部活、自身のビフォーアフターなど様々な観点で文章が綴られるが、通底しているのは友だちのことであり、繊細に揺れ動きつつも確固とした将来への視座であり、中学生活を通じて培われた道徳観であった。


合宿を通じ、緊張や気恥ずかしさが消え、みんなと打ち解けていったこと。

気づけば、いつもまわりに友だちがいるような環境であったこと。

登山や勉強や部活を通じ、皆で励まし合い喜び合っていつしか結束が強まっていったこと。


そんな環境のなか、他者への配慮が身についたし、互いを尊重し合い譲り合うことの大切さを知ったし、つまりは礼儀を学んだ。


朝の放送や聖書朗読やHRで得た感銘について触れたものも散見された。

「剣をさやに納めなさい、剣をとる者はみな、剣で滅びる」といった聖書の言葉を引く生徒もあり、ふんわりかつさり気なくキリスト教的な博愛の精神が内面化されていく星光独特の雰囲気が窺えた。


中学3年間を振り返って綴られたこの文集の内容を一語にすれば「会えてよかった、これからもよろしく」となるだろう。


皆が皆を称え合い、志し高く未来へと挑んでいく若き血潮が清々しい。


また、彼らの言葉の余白にも惹かれるものを感じた。

思いの芯を捉えて言語化できた部分は、彼らの全貌のうちごく一部であろう。


言葉とならずいまは空白であっても、その行間にはすでに予見され感知された何かが胚胎し息づいている。


そういう意味で言語化された部分は、海面上に一部見える島嶼群のようなものであり、全体像が姿をあらわすのは未来のお楽しみということになる。


ああ、実はあのとき、気づいていた。

そのような形で皆が皆、各自の自己実現の過程を進んで、いつか全体像との対面を果たすということになるだろう。


前日の夕刻、天王寺で仕事の打ち合わせがあった。

来年2月に開院となるクリニックの院長の昔話に聞き入って、その紆余曲折が人としての厚みを形作って魅力の素になっているのだと分かって、更に好感が強まった。


打ち合わせを終え、天王寺から夕陽丘までぶらり一人で歩いた。

いわばわたしにとって行間の時間。

仕事の余韻にひたりつつ、仕事と仕事の間に横たわるひとときに身を置く幸福は最上のものである。


最も大事なことは行間に潜む。

中年になってから気づいたことである。

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Léon Spilliaert, Young man with red scarf 1908.