前夜の余韻が引き続いていたので赤ワインを買って帰宅した。
夕飯は手作りの麻婆豆腐と回鍋肉。
この回鍋肉は二男に絶賛された。
弁当について日頃品評などしない二男であるが、史上最高との賛辞がメールで届いたのだという。
塩麹で仕込んだ豚肉を使っているからだろう。
確かに美味しく、もちろん麻婆豆腐も本格的で美味しい。
テレビでは南アフリカ対イタリア戦のラグビーが中継されていた。
家内と観戦しつつ、長男の中学受験のときの話になった。
そう言えば受験直前、家内は長男が出場したラグビーの試合のビデオを繰り返し見ていた。
刻一刻と受験の日が近づき、緊張高まり不安も増した。
普段の出来からすれば志望校に通るだろうとは思うもののよく考えれば、合格するとの保証などどこにも存在しない。
試験当日、力を出し切り自ら勝ち取らない限り、不合格となる。
合格できなければ、一体これまで何をやってきたことになるのだろう。
受験勉強に費やした時間すべてが水泡に帰すも同然。
そんなことが頭を巡り始めると、とても平常心ではいられない。
それで家内は長男のラグビーのビデオを注視するようになったのだった。
フィールドで大奮闘する長男の姿を見れば励まされ、力づけられ、どうした訳か目に涙が浮かんだ。
この男なら大丈夫。
すごすご負けることなどあり得ない。
観れば観るほど、絶対に何とかするだろうという確信のようなものが強まった。
そして母が芯となって家族の結束も強まった。
受験直前期はまさにワンチームとなって日々を過ごした。
それでも震えるように過ごした受験期間であった。
だから生きた心地はしなかったが、得られた結果は吉だった。
吉が出たときのあの瞬間の喜びは今も忘れられない。
本人の努力が報われ、心血注いだ家内の献身も報われた。
もし万一、手にした結果が凶であったら一体どうなっていたのだろう。
大袈裟ではなく人生観さえ変わっていたかもしれない。
年端いかない少年にとって、不合格との烙印を押されることほど酷なことはない。
世界は冷徹でその壁は高く分厚く、非力で無能な自分は決して向こう側にはたどり着けない。
それが隠れた信念のようなものとなり、ちょっとした段差にも阻まれ躓き、あるいは、段差と見れば逃げ腰になるようなひ弱な男に成り果てていたかもしれない。
幸い、良き学校に恵まれ良い友人がたくさん得られ、学業その他にと濃厚で実り多い中高時代を過ごすことができた。
思えば、そこに至るすべてのはじまりは中学受験であった。
小6になったときにラグビーをやめ、中学受験に専心し奮闘した。
たいへんであったが倦まず弛まず頑張った。
なんであれ対価が必要で、タダでは手に入らない。
ぽかんと口を開けていて、しみじみと噛み締めることができるよう充実感を得られる訳がない。
中学受験を経てそして更に過酷さと冷酷さを増した大学受験を終え、彼は身をもってそう学んだはずである。
親の不出来を考えれば上出来。
そうほっと胸をなでおろす現在地点であるが、振り返れば振り返るほど肝が冷える。