小路駅で降り、今里に向かう。
ようやく真冬。
辺りは真暗で、存在するのは寒さだけといった夜道を歩く。
途中、あじ平に差し掛かる。
家内とはじめて訪れたのは、いつのことだったか。
日記を調べて驚いた。
2012年11月30日の金曜日。
ちょうど今時分の季節、7年前のことだった。
あじ平を通り過ぎ、グーグルマップを眺めながら歩いて数分。
万宝家(マンボッチ)に到着した。
時計を見ると6時20分、待ち合わせ10分前だった。
店に入ろうとしたとき、タクシーが目の前に停まった。
降りてきたのは家内だった。
店に入ると奥の座敷に案内された。
マンボッチの手にかかるとありふれた韓国家庭料理が極上の美味珍味へと相貌を変える。
奇跡のように美味しい品々を味わいつつ、7年前のちょうどいま頃、あじ平で食事したことについて家内に話す。
ついこのあいだのことに思えるからだろう。
7年前というのが家内には一瞬呑み込めないようだった。
長男の中学受験まであと50日という時期であり、緊張感高まり神経が鋭敏となっていた。
だから記憶がいまだ鮮明で、そこから時が経たないということになる。
思えばそのような濃厚過ぎる日常が引き続く7年であった。
長男に続いて二男が中学受験し、そして先ごろ長男が大学受験を終えまもなく二男の番がやってくる。
子らはみるみる成長し、その過程を通じ、わたしたちも少しばかりは成長したのではないだろうか。
海鮮チヂミのあまりの美味しさに夫婦ともども目を丸くしながら、そんな話を家内と交わす。
欠点を互いあげつらいがちな若気の夫婦から多少は分別ついて、責めるよりは許すこと、短所に焦点を当てるよりは長所に着目した方が、心穏やか機嫌よく過ごせると学んだように思える。
世の中、完璧な人間などいない。
その不完全を嘆いたところで仕方なく、目をつぶり合って助け合うのが人間というもので、隗より始めよ、家庭がまずもってそういう場所であるべきだろう。
その共通見解のもと、次は二男の受験に向けて一致団結することになる。
家内が言う。
二男の受験サポートが終われば、あとは大いに楽しんで過ごす。
締めはアワビのお粥。
二つの器によそいながら、賛成、とわたしは言った。
わたしたちにとって最大の関心事は子らの近況。
ニュースに事欠くことはないから、この先も退屈することは一切ない。
つまり、受験サポート以前であろうが真っ最中であろうがその後であろうが時期とは無関係。
わたしたちはすでに大いなる楽しみとともにあるのだった。