前菜がとん平焼き。
続いてチキンがこんがり焼き上がり、ブルーチーズのたっぷり載ったピザも出来上がった。
すべて二男が食べたいと言った品々であった。
赤ワインのグラスを片手にイングランド対アルゼンチン戦の行方に目をやっているとピンポンとインターフォンが鳴った。
お菓子を渡してあげて。
家内の声を背に玄関先まで駆け下りた。
玄関にはシャチハタとともに、宅急便のドライバーをねぎらうためお菓子の小袋が日頃から用意してある。
わたしは宅急便のお兄さんにお菓子を手渡し荷物を受け取った。
荷を解くと中は家内が長男のために注文したアメリカチームのレプリカジャージだった。
売り切れ続出で各国全てにわたって品薄が続くなか、週明けには二男用にイングランドとスコットランドのジャージも届くという。
日本対サモア戦の終盤、二男が帰宅した。
夜食の前にひとっ走りすると言ってすぐに飛び出して行った。
試験一週間前だから部活が休み。
カラダを動かしたくて仕方ないのだろう。
小さい頃からそうだった。
塾帰り、家内の迎えのクルマには乗らず駅から2kmほどの道のりを彼はしばしば走った。
ときおりは家内が自転車で伴走し、日によっては一緒に自転車を漕ぐこともあった。
長男と同様、彼もカラダを動かすことが幸せという普通の少年だった。
だからこそ塾で長時間座った後はカラダを動かさずにはいられなかった。
受験勉強については長男のときの反省を踏まえ前倒しで仕上がるよう親として目を配った。
送迎や食事といった家内のサポートも長男のときをはるかに上回っていた。
それで成績も順調に上位にて推移したが果たして受験においては結局やがて不安先行という心理状態に陥ることになるのだった。
頑張ったからといって結果はまた別物。
一発勝負であるから時の運という要素も絡んでくる。
本人はおくびにも出さないが、頑張っている姿を見れば見るほど親は万一のことを考え不安が高まり、もどかしいような思いを慢性化させるのだった。
だから家内は家内で後悔がないようやれることを全てやったし、わたしはわたしで時間があれば隣に座って一緒に問題を解いたりしたが彼の方がはるかにできるのでわたしは勉強の邪魔をしたようなものであった。
どれだけ準備を重ねても不合格になる確率をゼロにすることはできず、もし落ちれば日頃の努力が水の泡となる。
つまり受験は一種の恐怖体験。
ロシアンルーレットさながら銃口をこめかみに当て引き金ひくのと同じことであった。
そして運良く頭を撃ち抜かれることなく合格を得て無事に受験を終えることができた。
勉強だけでなく合宿に部活に留学といった意義深い経験が数々積めて、この先一生付き合うことになる魅力あふれる友だちらと多数出会えた。
受験というトンネルを潜り抜けたからこそと言えるだろう。
そんな話を家内と交わすが遠く過ぎ去っても受験の話を振り返ると際限がなくなる。
これも志望校への合格を果たせたからであり、もし不合格で終わっていたら受験に費やした日々全てがアンタッチャブルになって互い口を閉ざすことになったであろうから、返す返すも恐怖体験と言うしかない。