3日も空くと行く気が失せる。
が、家内がそそくさと準備を始めるので従わない訳にはいかない。
助手席に乗って運ばれること10分。
やむなくマシンと対峙した。
たった3日空いただけで、平素の負荷がカラダに堪える。
だんだん慣れて快調、といった風にはならず、キツく感じる時間が続いた。
90分ほどかけなんとかメニューをすべてこなし、最後のランを終えたときには、膝に手をつき肩で息して自身の達成を称えた。
どんな状態でもやり抜ける。
そんな自信を得られたことがこの日の苦悶のご褒美と言えた。
帰りも運転は家内。
スーパーコーヨーに寄って食材を買い、飲み物を買った。
家での夕飯を2日スキップしただけで、料理が有り余っていた。
栄えある残飯係を買って出て、ここ2日間の残り物に箸をつけ、これまた見事、務めを果たした。
達成感と爽快感。
小さな二冠にわたしはひたった。
バロークスを開けて乾杯し、ようやく憩いの時間が訪れた。
リビングに並んで座って、『SKYキャッスル』第16話を観始めた。
続きが観たくて待ち遠しかった1週間などあっと言う間。
日常の慌ただしさのなかすっかり忘れて、ばったり楽しみに出合ったようなものであるから、実に嬉しい、至福の時間と言えた。
当初の基調だった俗物的なマウント合戦が、犯人は誰なのだといったミステリー調に変化し、終盤、文芸作品とも言うべき重々しい雰囲気を醸し出しはじめた。
ストーリーを奏でる楽器が徐々に変わって、話がいよいよ核心に迫っていくようなものであるから、その旋律に飽きることなど一切ない。
原罪を課された人というものの哀れと悲しみ、悪の残酷と無慈悲に息が詰まって居ても立っても居られないような気持ちになるが、感情掻き立てられたその分、釘付けになってますますストーリーにのめり込んでいってしまう。
勝ち気なエゴが結局何を招き寄せ、何をもたらしたのか。
あまりに重大で深刻な帰結に戦慄し、観る者のなか自戒の念が芽生えるはずである。
そういう意味で娯楽作品でありながら、強いメッセージのこめられた道徳番組だと解釈することもできるだろう。
隣国の民が必要とした物語から、我々も学ぶことは少なくない。
最終回となる第20話まで残りあと4話。
金曜夜、家内と一緒に第17話を夢中になって観ることになる。





