天気予報では激しい雨。
だから事務所にこもって過ごすことにした。
始発に間に合うよう家を出たその瞬間、ぱらぱらと雨が降り始めた。
駅のホームには平日の始発時と同様の顔ぶれがあった。
土曜でも平日と同じ。
そんな勤務体系の人はいまも珍しくない。
週休二日という感覚にすっかり馴染んでしまったが、好きなだけ働ける自営業。
そんな自らの立場を思えば、土曜も仕事、働き盛りである間はそう思うくらいでちょうどいいのだろう。
松屋で朝食を済ませて事務所に入り、午前中を仕事に充て大いに捗ったので心は晴れたが、窓の向こうの雨脚は強まる一方であった。
なか卯で昼を済ませ、午後は読書に勤しむことにした。
長男が最近示す関心領域に心当たりがあり、関連する書籍が頭に浮かんでいち早く送り届けたいとの気持ちが生じ抑え難い。
どうせ送るのであれば本について意見交換ができるよう軽くでも再読が欠かせない。
『新ブレイクスルー思考』(ジェラルド・ナドラー著)、『すぐれた意思決定』(印南一路著)、『最強組織の法則』(ピーター・センゲ著)といった本の頁を早足で繰って、いたる所に記された若き頃のメモなどを目にしてそのたびに懐かしさが込み上がり、これら頁を息子も経るのだと思って浮かぶ喜びにひたる読書の味わい深さと言ったらない。
夕刻、目も疲れた頃合い、西九条の大福湯に向かった。
大阪ではこの日から休業要請が大幅に解除され、銭湯のサウナも解禁になったのだった。
お湯のマークが大書きされた暖簾をくぐってお代を払おうとすると、久々だからサウナ代は要らないと番台の美人お姉さんが言った。
タダ?
それで一瞬、混み合っているのかとも想像したが、なかには、ひなびた感じのお爺さんが一人いただけだった。
そのお爺さんと二人きり。
風呂もサウナも貸し切りといった状態。
思い切り羽を伸ばして、サウナと水風呂を満喫することができた。
心身の活性効果は疑いようなく、やはりサウナは素晴らしい。
長男と二男を誘って男三人でサウナでくつろぐ図を想像し、まるで彼らと過ごすかのように楽しんだのであっという間に時が経ち、体中の老廃物がすっかり体外に排出され、同時に肌の目詰まり感も一気に解消された。
そして、サウナの後はビールで決まり。
コンビニでつまみと缶ビールを買い、さあ事務所で晩酌だと勢いづいた。
お酒の相手はマンガ。
『鬼滅の刃』を12巻まで読み進めて、だんだんとその面白さが分かってきた。
二男が読んでわたしが後を継いで、長男に送る。
これで、男三人の共有概念が増すことになる。
たとえば「今度戦う相手は上弦の鬼」といった感じで、早速、二男の受験に際しても使える。
何がいいと言ってマンガを介していろいろな状況での意思疎通が促進されて印象も深まる。
それがマンガを楽しむことで得られる副次的効果と言えるが、父としてみればこれこそが主たるものと思える。
ほどよい時刻、家に帰ってそのまま三階の自室に引き上げ寝床に就いた。
まもなく風呂を上がって二男がわたしの部屋にやってきた。
辛坊治郎さんの『ズームそこまで言うか』の映画コーナーで『ライフ・イズ・ビューティフル』が紹介されていたという。
先日のGWの際、行き帰りのクルマのなかで辛坊治郎さんのラジオ番組を流し、それがきっかけとなって彼は辛坊治郎さんのラジオをひとりでも聴くようになった。
また、同じ車中、映画について父子で語り合い『ライフ・イズ・ビューティフル』ほどの名作はないと意気投合したばかりだった。
二男からすれば、その一週間後、辛坊治郎さんのラジオを聴いて『ライフ・イズ・ビューティフル』が取り上げられたものだから、その偶然に驚いたのだろう。
ふむふむと息子の話を寝床で聞きつつ思う。
父の趣向のうち幾つかが、しっかりと子らに伝わっている。
映画やマンガ、数々の書籍、それにラジオ番組、サウナもそうと言えるだろう。
墓石の下で眠るわたしに、やあ久しぶりと息子がやってきてあれこれ報告してくれている光景が出し抜けに頭に浮かんだ。
そう言えば『ライフ・イズ・ビューティフル』は父が息子に残した最高の贈り物の話であった。
映画のシーンのせいだろう、息子の話を聞きながら寝床でほんの少し胸がジーンと熱くなった。