通りかかったなか卯で海鮮丼を頼んだ。
品にクーポン券が添えられていて、その紙片によって、遠い昔、長男が小学生だった頃の記憶が呼び覚まされた。
事務所で長男が勉強していたときのこと。
休憩の際、彼はひとりなか卯でご飯を食べた。
帰ってきて、彼はわたしにクーポンを差し出した。
その表情は、手柄でも取ったかのような誇らしさに満ちていた。
「これ、タダ券やで、パパにあげる」
クーポンなどといったものは、悪気で解釈すれば子供だましの一種と言える。
見ればタダ券と言っても他に何か買わなければ使えないのであるから実のところタダではない。
見事まんまと、その子供だましに息子は踊らされたようなものであった。
が、実に子どもらしい息子の反応が可愛くて仕方なく、その光景がまるごと愛おしく感じられた。
二男にも同様のエピソードがあった。
わたしは仕事、彼は勉強を終え、二人で事務所から駐車場に向かったときのこと。
うちのクルマのワイパーに手紙が差し挟んであって、小学生時分の二男がそれを手に取った。
「このクルマを売ってください」との記載があり、二男はそれを読んで照れて笑った。
うちのクルマが選ばれた。
二男はそう感じたのだった。
笑顔の中に誇らしさが見え、なんと可愛い、わたしはそこはかとない愛情を我が子に感じ、心のなか強く抱き締めた。
もちろん、かしこい二男はすぐに気づいた。
駐車場に停めてあるすべてのクルマに手紙が差し挟まれていた。
そのラブレターは自分だけに宛てられたものではなく、そこら中にばらまかれていたのだった。
大人のやり口を、彼が学んだ瞬間だった。
あの頃に較べ二人ともずいぶん大きくなった。
が、わたしの心のなかでは当時のまんま。
子らは子のままでこのうえなく可愛い存在であり続けている。
海鮮丼をかき込みながら、分厚く堆積した可愛さの歴史のなかに身を浸し、わたしは幸福に酔いしれた。
2020年9月29日 なかなかいい走り pic.twitter.com/KZ5Z7WQDIH
— koranikataru (@koranikataru) 2020年10月1日