卒業式の日、生徒との別れを惜しんで担任の先生は何度も声を詰まらせた。
中1からの付き合い。
彼らの能力を最大限引き上げようと、深い愛情をもって手塩にかけてきた。
思い入れは普通ではない。
必ずまた帰って来い。
酒を酌み交わす日が楽しみだ。
そう言って送り出した東大一組の皆が皆、無事大学に合格を果たした。
先生の胸中は如何ばかりか。
あれやこれやがしみじみと込み上がり、また言葉を詰まらせるといった風になっているに違いない。
思えば強烈と言っていいほどの精鋭クラスだった。
ほぼ全員が東大生となって一橋と早慶がチラホラといった程度。
去年と今年で出揃って、クラスがそっくり東京の地で再結成されたようなものである。
担任が先頭に立って引っ張って、互い切磋琢磨しまた助け合ったからだろう。
クラスの結束は果てしなく強い。
端の端の末席ではあっても長男がそんなクラスの一員であったことが、実に喜ばしい。
先生が作り上げたのは、いつ果てるともなく続くクラスの連帯感。
担任の名を記して、何々組と称してもいいのではないだろうか。
その何々組が、次のステージでまた切磋琢磨し助け合う。
羨ましいとも思えるほど。
なんと素晴らしいことだろう。
成人式で皆が集まった際、バイト代を出し合って、先生に酒を浴びせて返すのが一番の恩返しになることだろう。
そんな強固なつながりを二男にも得てもらいたい。
親としてはそう願う。
たとえば、塾のクラス。
各学校の猛者らが集結し、石を投げれば精鋭に当たる。
そんな者らが結束すれば、相棒ならぬ鬼に金棒で、互いが互いの金棒になる様を思えば、なかなかの迫力である。
勉強の足しになるから。
そんな観点だけで塾を捉えるのだとすれば、考えが狭小というものだろう。
見渡せばそこにも仲間となる者がいる。
目指すところも同じ。
互い競い合って励まし合う土壌があるから、強固な友情が育まれ得る。
まだ芽の段階の今の輪が一年後どんな風になっていくのか、父はそちらに注目していこうと思う。