大福湯のサウナにはわたし一人。
ひとり黙ってじっと過ごす。
仕事で火照った頭に巣食う残骸がすべて汗となって排出されて爽快。
寒気が押し寄せ風が冷たさを増すが、湯上がりの者にとってはほどよい涼しさ。
ただ存在するだけで心地いい。
生きる喜びを静かに味わいつつ、西九条から環状線で大阪へと運ばれた。
待ち合わせより早くに着いた。
北新地の夜の幕が開き始める時間帯、行き交う人を眺めるだけでただ楽しい。
まもなく家内が現れた。
善道の予約が取れたのは家内の功労。
ふと思いつき、ダメ元で電話したところ席があった。
二つ返事で席を確保し、そして夫婦で喜び勇んだ。
カウンターに腰掛け、ビールと前菜盛り合わせを頼む。
これが善道での定石。
小品から味わって、口にするすべての断片が美味をたっぷり宿しているから唸らされる。
そして、それらが調和し積み重なって巨大な美味が構成されていく。
食べる過程で感動に至る。
この店においては、これがたどるべき善き道となる。
その道行きをお酒が彩る。
ビールを皮切りに紹興酒の燗をいただき、ハイボールを飲んで続いてはワイン。
家内もわたしもお酒が進んだ。
この日の昼、家内はママ友と会っていた。
お相手は医大生の母。
チャラチャラと虚を張る母らの群れから距離を置き、地道堅実に子を育て、いまようやく手が離れた。
日本で最も難しい医学部のなかのひとつに息子が通い、母の努力は報われたと言えるだろう。
何が価値あるといって、その価値がもたらす満足感に匹敵するものはなかなかない。
お金を積んでも手に入らないし、乞い願ったところでそう簡単には叶わない。
長い道のりを踏破して、ようやくにして憩う母らの話はいつ聞いても楽しく、かつ家内にとって良い励みになる。
エビマヨ、酢豚、空芯菜、カニ身とフカヒレのスープと来て担々麺でしめた。
来月の席を確保して、食の喜びを噛み締めつつ帰途につく。
駅を降り、家内とともに西へ向いて歩いた。
目線の先には宵の明星が輝き、左手に冬の大三角を捉えることができた。
上空に強い寒気が流れ込んでいるからだろう、いつにも増して星の瞬きが活発に感じられた。
文字通りスター級の一等星が空に陣取り鮮やかな光を放ち、じっと目を凝らすと、晴夜のなか遠い星々の微弱な光も仄見えた。
美と表現するのもおこがましい壮大が、ちっぽけなこの身をすっぽり覆い、つくづく人の虚飾の虚を思い知るような気持ちになった。
家の前まで来たとき、公園で二男が走っているのが見えた。
家内とともにしばらく眺め、家に入ってからもまた階上からその様子をしばらく眺めた。
そして、深夜に至ろうとする時間。
昨夜同様、電話会談が執り行われた。
前夜とは異なる西大和生に二男が電話をかけ、あれこれ質問し助言を受ける。
崖を這い上がり、頂にすっくと立つ者の言葉には説得力がある。
そこに至るルートとペース配分、必要な装備についてアドバイスを受け、二男がメモし家内がそれを写メにし記録に残す。
必要な書籍等あればわたしはその場でアマゾンを通じ購入する。
話の締め括りに助言者は言った。
現役曲線というものがある。
現役生は直前期になって一気に伸びる、そう言われている。
しかし、際になっても頂きが見えず、それで焦って空転し自滅する者がいる。
やはり最後にはメンタルで勝負が決まる。
どれだけ準備してきたか、どれだけ努力してきたか、がそこで問われる。
日々、積み上げてきた具体だけが自分を確固とさせる。
だから、勉強の質にこだわり、毎日を大切に過ごすこと。
なるほど、とわたしも強く頷いた。
頑張ろうといった言葉は誰にだって言える。
ほんとうに必要なのは、長い時間かけ心のなかで発酵したような言葉なのだろう。
不安と孤独に両挟みにされながら、彼もまた震えるような緊迫をくぐり抜けてきたに違いない。
だからその言葉が、心に届く。
メモには取らず、二男はその言葉を直に自身に刻み込ませていたように思う。