祝日もいつもと同じ。
息子に朝食をしっかりとらせ弁当を持たせ送り出し、わたしたちはジムに向かった。
朝9時から一時間筋トレし、10 時から二人並んで半時間速歩した。
傾斜をつけてするからいつもは苦しい速歩である。
が、NHKのプロフェッショナルの再放送がヤンキースの田中将大。
いい番組は麻酔のような効果をもたらす。
真剣に見入ることになり、苦しいはずの速歩であるのにあっという間、ハードなトレーニングの時間が過ぎていった。
運動でカラダに勢いがついていた。
帰宅後すぐに夫婦で手分けし家の掃除と片付けに勤しんだ。
午前中だけでかなりの充実度。
あとはゆっくりしようと、昼食がてらクルマで芦屋に向かった。
蕎麦屋は数多いが関西では芦屋の土山人がいちばんおいしい。
わたしは細挽きせいろと粗挽き田舎蕎麦のそれぞれ大盛、家内はすだちそばと天ぷらを注文した。
いつもそうだが客層が芦屋。
真向かいに座る皆さんをはじめ皆が皆、身なりよく上品で、一見してそうと分かるお金持ちばかり。
分不相応なブランド店に入ったような居心地の悪さというのだろうか。
わたしは下々の民。
場に馴染めず、ここでは決まって気後れのようなものを感じてしまう。
おろおろしつつ、ふと横に座る家内に目をやった。
品のある黒のワンピースに小洒落た麦わら帽子、ワンポイントのアクセサリーも映えている。
これなら芦屋の人としても十分通用する。
昆虫の擬態と同様。
わたしは家内の陰に隠れてこの場を凌いだ。
帰途、食材を買うため西宮阪急に寄った。
このところ息子の夜食の定番がぴょんぴょん舎の盛岡冷麺になっていて買い足すことが必要だった。
蜂谷の餃子も必須。
混み合う食品売場で家内が機敏に動きその後をわたしは必死について回った。
目的の品を含め一週間分の食料を無事調達することができた。
家に帰ってドラマ「トッケビ」を見て笑って過ごした。
ドラマのなか、一人暮らしする学生の冷蔵庫が空っぽであるシーンがあり、家内はそこに強く反応した。
東京に住む息子に食べ物を作って送る。
そう言うや否や、家内が腰を上げ料理を作りはじめた。
わたしはリビングからキッチンのテレビの前に移動し、そのままの流れで夕飯の支度を手伝った。
バロークスで乾杯し二人で鶏鍋をつついた。
食卓で流す番組はアメリカドラマの「SUITS」。
鳥清で買った地鶏がふわふわで実においしい。
締めは徳島半田の倭麺。
家の食事がいちばんうまい。
その確信が強まった。
リビングに戻り「トッケビ」の続きを見ていると二男が帰ってきた。
二男が軽く運動する間、わたしは風呂の湯を入れ直し、家内は夜食を準備する。
メニューは鶏鍋の残りなどではなく、二男が食べたいと言った盛岡冷麺と蜂谷の餃子。
この動きが全てを物語る。
やはりどうやら息子がすべて。
わたしたちは丸一日、息子の帰りを待って時間を潰していたようなものと言えた。
子という存在に引き寄せられるという点で、親はリンゴと同じ。
息子という大地に向かい、いっせいのと木から嬉々とし落下するわたしと家内の姿が頭に浮かんで、わたしは一人笑った。