大阪北港に企業団地がある。
夕刻の業務がそこであったので家内にクルマで送ってもらった。
半時間ほど家内を待たせ、そのまま帰途についた。
軽く蕎麦でも食べて帰ろうと話が決まり、大開から阪神高速に乗り湾岸線を走った。
深江で降りて芦屋に向かう。
途中、右手に芦屋青少年センターが見え、そこで家内の思い出の小窓が全開となった。
長男が小学5年の頃。
ラグビーの練習は日曜午前だけでなく、土曜の午前と夜そして水曜の夜にも行われた。
水曜の練習場がこの青少年センターだった。
毎回送迎に駆り出されたから、家内にとっては忘れようにも忘れられない場所であった。
数々の場面が眼前に浮かんで、家内の二万語に拍車がかかった。
総括すれば労苦が質量ともにMAXだった時期と言えた。
涙目になるのも当然で、横に座るわたしはよく頑張ったとねぎらいその奮闘をたたえる他なかった。
土山人に着いて、いつものとおり気に入った蕎麦を夫婦で頼んだ。
作品ともいうレベルの蕎麦を堪能しつつ、話題は中学受験に移った。
あれだけラグビーに打ち込んで、よく中学に入れたものである。
そもそも息子のレベルを考えれば浜学園より能開センターが合っていた。
当初から能開センターで面倒をみてもらっていれば、もっと楽な受験になったに違いない。
しかし、当時西宮北口に能開センターはなく、わたしたちは受験について無知なまま、息子にとっては無為な時間を積み上げた。
それでも受験に関し帳尻合ったのは、運が良かったというしかない。
そのように、いま思えば肝の冷えるような事柄ばかり続いたが、強い守護霊でも付いていたのだろうか。
知らぬ間にいろいろなことが整った。
帰宅し軽く二次会をし、韓流ドマラ「ミスティ」の続きにわたしは見入った。
この日、マッサージを受けてはいたが、施術者の当たりが悪かったのか疲労感が増していた。
それで久々、家内に耳つぼマッサを頼んだ。
アロマを肩から首筋にかけ塗布してもらい、頭部を預けた。
いつにも増して耳つぼに痛みを感じたが、その分、得られる癒やしも大きかった。
そのうち二男が帰宅した。
施術を受けるわたしを見下ろす格好でソファに座って息子が言った。
塾の数学クラスで実力テストがあった。
80点満点で73点。
78点のやつが一位で、自分は二位だった。
二位でもすごい。
夫婦でそう言葉を揃えた。
家内からラインでその報告を受けた長男からも「すげっ」との返事が即座届いた。
そうそう、大阪星光にはこんな風にやたら数学のできるやつがゴロゴロといる。
ソファに座る男子がそんな一人なのだと、うっすら眼の遠い目線でわたしは息子を眺めた。