夜10時、わたしに続いて二男も帰宅した。
息子の夜食は家内が作った手羽先と素麺。
彼が食事する様子を眺めつつ、いつものように食卓で輪になり今日のエピソードについて語り合った。
わたしはこの日、星光の先輩の仕事を手伝った。
役割に合致する用事があれば声がかかる。
そんな輪がある。
なんて素晴らしいことだろう。
業務終了後、ごついベンツで次の行き先まで送ってもらった。
後部座席はゆりかごのような居住感。
最高の乗り心地であった。
家内からは駅での話。
仕事の手伝いの後、きじ歯科に向かう道中のこと。
御堂筋線本町駅で人身事故があった。
事故直後だったからあたりは騒然としていて、駅に響き渡るアナウンスの内容に胸塞がるような思いとなった。
どこの誰かは知らない。
どんな事情があったのかも分からない。
が、現実に起こったのであろうことが頭をよぎってそれが現実だと思えば、何もそんな仕方でと気の毒でならない。
その日の朝日新聞に企業の人減らしが加速しているとの記事があったばかり。
経済的な事情なり健康上の理由なり、いろいろと差し迫った状況でひとり思い悩む人がいる。
他人事として受け流すのではなく、必ず心に留めておかねばならないことだろう。
息子からは塾の話。
今日から東大数学の講座が始まった。
夏は浪人生と合同のクラスとなる。
ちょうど後ろの席が西大和の浪人生たちで占められていた。
西大和生と言えば兄が通った学校でありその友人らが何人もうちで寝泊まりした。
だから二男にとって従兄弟も同然。
彼らが学校でどれだけ親身な教育を受けているか。
力量と熱量を十分兼ね備えた教師らがどれだけの情熱をもって彼らに向き合っているか、二男はまるで当事者みたいに双方の視点でその実情を知っている。
試験制度が変わるにも関わらず、浪人してでも東大を目指すということであるから後ろに座る彼らは本気度で言えば最前列に位置し、かつかなり優秀な連中だと見て間違いなかった。
そんな強敵を含めた浪人生と現役生の二学年で雌雄を決する。
それが大学入試なのだと二男は実感し武者震いした。
この全国大会の激戦は中学入試の比ではない。
常在戦場。
浜学園に飾ってある言葉がようやくにして現実味を帯びて感じられた。
幸いなこと、兄の超絶優秀な友人らから二男はいつでも有益な助言を受けることができる。
先日の東大模試でも英数の出来が傑出していた。
それに冷水を浴びせるように、油断するな、社会を舐めるな、空き時間もすべて勉強しろと叱咤激励の声が飛んでくる。
厳しくも思いやりある輪の中で男子は揉まれて強くなる。
なんと恵まれたことだろう。
このように各自エピソードを交換し、一人一人の経験が共有される。
これら情報こそが輪を循環する血流のようなものと言えるのではないだろうか。
輪が失われ情報が途絶えれば、赤の他人のなか孤立して青くなるしかない。
輪の中にあって、やっとなんとかわたしは生き延びてこられた。
だから、数々の友人らに感謝の念を抱きつつ、息子らにも口を酸っぱくやはり輪が大事なのだと言い続けることになる。