具材たっぷりの味噌汁を作り、魚を焼き、そこにだし巻き卵も添えられた。
これで朝食として申し分ないはずだったが、肉が食べたいと息子が言った。
彼らが奈良に向けドライブに出発した後、だからわたしたちは肉を調達するため買い物に出かけたのだった。
芦屋駅で降り、日曜の昼食を中華の「チィナ」で済ませ、大丸の地下にて食材を調達した。
ただ、肉については事を急くことがないよう大丸にて値段だけみて頭に刻み、通りを挟んだ先にある竹園を訪れ比較検討を行った。
懐事情を直視すれば竹園が精一杯。
そう結論を下し、そこでセールになっていた肉を買い求めた。
これで用事は完了となって、お茶して帰ろうと通りを歩きはじめたところで家内が驚いた顔でわたしを見た。
向こうから歩いてくるのがインスタの有名人だと家内がこっそり教えてくれた。
そのセレブぶりと歯に衣着せぬ辛口の投稿で数多くのフォロワーを従えているのだという。
その昔、人を介して挨拶したことがある。
家内はそう言うが向こうはこちらに気づく素振りはまったくなかった。
夫と並んで歩くセレブとやらにわたしはチラと目をやった。
セレブと呼称するには無理がある。
まず率直にそう思った。
面の皮の厚い人相はふてぶてしく、いでたちはどうみても粗末で野暮ったく、雰囲気におよそ品のかけらも感じられない。
隣を歩く夫については輪をかけて、というほかなかった。
猫背で俯いて歩く足取りは弱々しく、いかにも尻に敷かれていますといった、風采の上がらない人物としか映らなかった。
二人が通り過ぎた後、家内がそのインスタを見せてくれた。
遠慮会釈なく人を見下ろして、発する言葉が痛烈で毒々しい。
わたしは強い嫌悪感を覚えた。
なるほど。
強気な発言の蓋を開ければ、真実は実につまらなくしょぼいものなのだ。
諸事情の入り混じった不本意感のようなものがベースにあって、要は自分の夫を罵るトーンの延長で感情をダダ漏れにしている。
実物を目にしてそれが一目瞭然と思えた。
だから、いちいち取り合う方がバカバカしい。
そのようにわたしは家内に感想を述べた。
そして夜、奈良観光のあと河内国分にてジム活を終えた息子と友人が帰ってきたのに合わせタクシーを呼んだ。
向かうは武庫之荘で、「じゅん亭」を予約してあった。
以前、夫婦で訪れ気に入って、二男を連れて再訪したが、長男についてはまだだった。
長男にしたことは二男にもし二男にしたことは長男にもする。
それがうちの子育ての大原則であるから、肉が食べたいとなればこうなるのが当然の成り行きだった。
カラダを鍛えている男子の食べっぷりは見ていて痛快だった。
肉が美味しいから箸が進み、食べることもまた才能といった話で意見が一致し盛り上がった。
食事を終え、梅田へ繰り出すという彼らを武庫之荘駅北口の改札で見送った。
わたしは家内を伴ってロータリーに停まっていたタクシーに乗り込んだ。
仲良く改札をくぐる二人の青年の姿が目に焼き付いて帰りの道中、何度も目に浮かんだ。