入試範囲に変更なし。
主な大学の入試要項が7月末日に発表となった。
新型コロナの影響で全国の高校が長期の休校を余儀なくされた。
入試範囲を縮小するよう文科省は各大学に要請し大半は応じたが、主だった大学は配慮不要との判断をくだした。
朝日新聞は一面と二面に、主な大学の発表内容の他、予備校関係者の反応や受験生の声を載せ詳細に報じていた。
一方、読売新聞では社会面に関連する記事は見られたがその扱いは小さなものであった。
子を持つ親として、改めて朝日新聞を頼りにするような気持ちになった。
8月1日から半年間、読売新聞の購読を契約したが、すでに契約の10日前から読売新聞が配達されている。
朝、朝日と読売の二紙に目を通し、これはと思う記事を息子に手渡す。
読売新聞の夕刊に田沼意次の実像に迫る記事があってこれは息子に渡したが、後は朝日新聞の記事だけが息子の手に渡る。
ここ数日だけに限ってみても、感心させられ面白いと思う記事は朝日に集中している。
東日本大震災の復興事業にまつわる裏金の話など土建国家の本質を浮き彫りにするような大スクープであったし、五輪中止を決断できない体質とバブル崩壊の後始末の失敗を重ね合わせ論じる真山仁さんのコラムも秀逸であった。
また、コロナ禍とも言える状況が長引き経済情勢が逼迫していくなか先進諸国がどれだけ財政規律を重視しているかを日本との比較で論じた記事も是非とも子に知っておいて欲しい内容と言えた。
その他、香港に対し強権を振るう中国をハンガリーとソ連との対比で語る論説にも目を見張ったし、愛の不時着について取り上げたコラムなど世相が反映されて面白く、名古屋大学の入試問題を問題文の執筆者である当の山極寿一さんが解くという企画もたいへん勉強になるものだった。
その昔、哲学者の鷲田小彌太さんが著作のなかで両紙の記事を比較し、朝日新聞の方が質で優っていると述べていて、どうやって見分けるのだろうと学生の頃のわたしは不思議に思った。
当時のわたしには新聞などどれも同じにしか見えなかった。
あれから何年も経って子を持つ親となり、「これを読め」と子に記事を渡すようになった。
子に渡す記事を選ぶという作業が入ってはじめて、自分なりの評価ができるようになってきたのだろう。
金曜夕刻、ジムからの帰途、家内とそんな話をした。
まだ二紙を較べはじめてわずか10日。
あと6ヶ月は配達されるからそのうちいい所も多々見えてくるのでは。
家内がそう言って新聞の話はおしまいになり、この週末をどう過ごすかという楽しいトピックに話題は移って行った。