タイ古式マッサージを120分受け終え、家内は家でまどろみの中にあった。
だから、ジムへはわたし一人で向かった。
若者らに混ざってわたしも筋トレに力を入れた。
苦しい反面、気持ちがいい。
だから続けることができる。
負荷と戯れつつ、考えた。
負荷があってこその喜びで、負荷がなければ行為にゼロを掛けるようなものであり、結果「無」しか出力されない。
日頃、家事に大いに勤しむ家内であるから、たまに受けるマッサージが至極の喜びになるのであって、疲労が少なければどこを揉んでもらったところで得られるものは極小だろう。
そして、その積み重ねが、ものを言う。
積み上がるものが大きくなれば疲れは倍増しだが、喜びは更に一層増していく。
だから単に楽しく気持ちがいいということよりも、「しんどい」という要素込みで楽しく気持ちがいい方が掛け値が大きく、得られるものはますます大きく長くしみじみ味わえるということになる。
つまり「しんどい」ことが隠し味。
勉強にもスポーツにも仕事にも家事にも通じることだろう。
イージーなことは味気なく、味気ないものをいくらかき集めたところで何も足しにはならず、だから努力のない人には魅力がない。
ジムを通じ、そんな当たり前の真実に今更ながらわたしは気づいた。