ちょうど一年前のこと。
なんばパークスで家内と映画『アラジン』を観た。
界隈で最も居住感に優れたシートにもたれ、童心に返って大いに楽しんだ。
その後、駅前の市場寿司で食事し会津屋で息子の夜食を買った。
そんな素朴な過ごし方が気に入ってこれからどんどん映画を観ようと家内と話し合った頭の片隅に、新型コロナの影響で生活様式の変更を余儀なくされる未来図など存在するはずもなかった。
日記によって、日常の断片がひと連なりのものとなり、その予想外の流れに不思議を感じる。
こちらから見れば既知だが、向こうから見れば未知。
縁取りの点線すらないような白紙のなかに、「いまここ」が現出していて、その「いまここ」は想像の範疇を常に超え出て、そのさなかにいる当事者は決まって言葉を失う。
何が起こるか分からない。
そんな未知が次々と既知になっていく。
日記にはその跡が残る。
自在に既知と未知を見比べることができ、時間を行き来し思う存分その不思議にひたることができる。
いま頭のなか、白紙を下地に何か点線が現れ出ている。
それを未来と思っているが、未到来のその場所に点線など存在しない。
日記を見れば一目瞭然。
頭の中の点線と目の前の実線は似て非なるもの。
誰もが驚きに満ち溢れた千夜一夜物語のなかを生きている。