KORANIKATARU

子らに語る時々日記

目に入る景色のチャンネルを変える

ジムを終え帰宅すると家内がオンライン英会話のレッスンを受けていた。

この日の講師はインドの若い女子。

 

インド映画やヨガの話で盛り上がり、インドを旅した際はガイドをよろしくと話が決まり会話は楽しく賑やかに膨らんでいった。

 

そんな会話を耳にしながら用意してあった夕飯を食べ、わたしは新聞をめくった。

 

女性の自殺が急増しているとの記事があり目に留まった。

コロナ禍のもと女性をめぐる経済的な状況がかなり深刻化しているようである。

 

このご時世、非正規雇用など一寸先は闇。

失職すれば暮らしが立ち行かなくなり、たちまち明日をも知れぬ身となりかねない。

そうなった場合、一生懸命頑張ってきた人ほど失意が大きいものだろう。

 

地縁も血縁も希薄になり親身になってくれる友だちもなければ、苦境をはねのける援軍がないも同然。

「いっそのこと」という結論に至る過程を思うだけでやるせない気持ちになる。

 

かつては一億総中流。

格差が見えにくかった。

 

が、いまは格差が歴然。

たとえば、SNS上に乱発される各種自画像を半時間でも目にすれば、自らの立ち位置を明確に思い知らされる。

 

その昔、家内が言った。

結婚当初は貧乏で、暮らし向きがたいへんだった。

そんなときインスタがなくて良かった。

もし目にしていれば惨めな思いになって、日々の暮らしが苦しいものになっていたかもしれない。

 

単に貧しいより、人と比べて貧しいほうが、身にこたえる。

 

他者の無邪気かつ意地悪な自画像を目にし、実際に孤立感を深めてしまう人は少なくないだろう。

 

先日、丹波篠山を訪れた際、視界に飛び込んできた風景がふと頭に浮かんだ。

 

町外れの山里であるから、地面は土で四方は山。

見上げれば青々とした空が広がって陽の光が降り注ぎ、目に触れる景色すべてが色鮮やか輝いて見えた。

 

そこに古小屋があって少し離れたところでおばあさんが黒枝豆を枝からもいでいた。

真横に一匹の犬。

名をつけるとすれば、豆次郎。

そんな名がふさわしい柴犬だった。

 

わたしの視線に気づき、おばあさんはにこりと笑って頭を下げ、同時に豆次郎は目を伏せた。

 

絵心あれば画筆を手に取るところだろうが、わたしに描けるのはドラえもんくらい。

だから仕方なく、わたしはその美しい光景を黙ってこの目に焼き付けた。

 

昨今、ネットを通じどこかいびつな光景が世に出回りすぎている。

人の心がバランスを失っているのだとしたら、それが一因とも言えるだろう。

 

素朴で地に足ついた、例えば丹波の風景などに多く触れれば、「いっそのこと」といったような思考に人は追い詰められたりしない。

 

その景色に自身の身を溶け込ませただただ思うはずである。

ああ、生きているって素晴らしい。

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2020年10月22日 息子の朝昼 しいたけの下にたっぷり敷き詰められた焼肉 サプライズ弁当

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