日曜であってもやらねばならないことが幾つもある。
あらかじめタスクノートにも記載しているから、こなしたくて仕方がない。
朝4時半に目が覚めたとき、ひとりでにカラダが動いた。
軽いものからこなしていく。
近くの給油所にまずはクルマを走らせガソリンを満タンにした。
そして帰宅し拭き掃除にかかった。
カラダに十分エンジンがかかったところで武庫川を走った。
家に戻ると家内が衣類の洗濯を終え、シーツやら寝具の洗濯にかかっていた。
かつ同時並行で肉を焼き、いくつもの料理が出来上がっていった。
午前9時。
クルマを走らせ実家を訪れ、父に差し入れを手渡した。
その帰途、界隈で食材を調達し鶴橋にクルマを停めた。
入船寿司のカウンターに一番乗りで腰掛けた。
寿司と言えば母の大好物。
二人でお腹いっぱい食べた。
続いてはお決まりのコース。
上本町のなかたに亭に寄ってケーキを買った。
家内が気に入っているので、この店は結婚以来うちの暮らしのシーンにちょくちょく登場する。
帰宅するとまだ12時半であった。
夫婦揃って早起きだから一日が長く、毎度午前中だけでかなりの充実度となる。
まもなく二男の友人がやってきた。
公園でトレーニングし、そのお茶係を家内が買って出た。
その間、わたしはドラマに興じ、ときおりグランドに目をやった。
練習後に備え家内が風呂を沸かしていた。
さすがというべきか。
友人と二人一緒に風呂に入ったので驚いた。
星光にて6年。
しばしば寝起きをともにし、常に苦楽をもともにした。
いまさら恥ずかしがったり隠したりするものなど何もないのだった。
友人宅に泊まるという息子たちを西宮北口駅まで家内が送り、取って返して夕飯のチンジャオロースを作り、その後家内は国家試験に向けての勉強を開始した。
この資格があると事務所は助かる。
家内の邪魔をせぬようわたしは引き続きドラマの画面を静かに眺め、いつしか一日を振り返っていた。
我が家が安寧だとすればその立役者は家内。
つくづくそう感じた。
家内の活動のほぼすべてが誰かの方を向いている。
自発的にそうするから当たり前のように受け止めていたが、よくよく考えれば殊勝なことである。
自分のことだけで頭がいっぱい。
やることなすこと、ほとんどすべてが自分だけのため。
そんな色合いの人が世には少なくない。
誰かのため。
自然にそんな思いが先に来て、カラダが動く。
感心して済ませるようなことではなく目を見張るべきようなことであり、いくら感謝してもし足りないといった話だろう。
わたしはうっかり見過ごしてきたが、数々の「誰かのため」が積み重なって足元固まり、うちの暮らしが確固としたようなものである。
なるほど答えはそこにあったのだった。
ふと目をやると、テキストのページを繰りYouTubeの講座を見ながら家内が真剣に勉強に取り組んでいる。
感謝は別途。
邪念が紛れ込まぬよう、家内にその答えは云わずにおこうと思った。