朝、ジムに行き、家でオンラインヨガを受け、午後は仕事を手伝い、家に戻って英会話レッスンをこなし、それから夕飯の支度を整えた家内と夕食後、録画してあったラグビー早明戦を見ていると長男から写真が送られてきた。
バイト先で保護者から貰った付け届けに「残り50日、よろしくお願いします」などと書かれた手紙が添えられている。
2月はじめが東京の中学入試。
親御さんの切実な気持ちが文面からにじみ出ていた。
うちの長男が中学受験を終えかれこれ8年、二男が終えて6年になろうとしている。
息が苦しくなるほど緊迫していたはずの中学入試であったが、実際のところ大学入試の方がはるかに激戦だったので、いつしか前者の苦しいような記憶は霞んで薄れた。
つまり、すべては取って代わられ苦味は濾過され、やがて良き思い出だけが残っていく、ということである。
そして、まもなくそんなこんなのすべてが終わって子育てについては隠居に入る。
だから、ささやかであれ息子が付け届けを貰ったことがひとつの節目に思え、深い感慨を覚えた。
かつては、誰もが手を焼くやんちゃ坊主。
こちらが菓子折り携え頭を下げる側だった。
あいすみません、とわたしたちは何度よその親に謝ったことだろう。
そんな悪ガキ伝説だって同様。
苦味成分はなくなって、なんだか楽しいような思い出に姿を変えるのだから、人の記憶なんていい加減なもの、実に都合よくできている。
このように記憶が書き換わりいいことだらけになる時期に合わせ、息子は成長し今後は世のため人のため大いに働く社会の一員となるのだろうから、これから先も加速度的に記憶が書き換わり、そのうち生まれたときから息子は品行方正、模範児童であったかのような話を惚けてわたしはするようになるのかもしれない。