なんであれ神様が決める。
漠然とそう思っている。
無神論を決め込むほどの知からはほど遠く、その一方、神様という言葉は知ってそのニュアンスだけは分かるような気がするから、それで収まりがいい。
わたしは何一つ分かっていない。
例えば子との出会いは奇跡だとしか思えず、いったい何が起こって何が進行しているのか今もって理解が及んでいない。
そもそも、わたしという存在についてもどういう理由で何がどうなっているのか把握できた試しがない。
すべて成り行き、もしかしたら夢と見立てたところで、単なる言い換え。
神様が決めるといった話と同次元のことのように思える。
雨の日曜。
女房と買い物に出かけて食事する。
当たり前のように女房と過ごす一日が今日も繰り返されるが、これとて実のところ何がどうなってこうなっているのか皆目見当もつかない。
自分という存在に家内という存在が合流してきた。
それは分かるが、ただただ不思議。
両親のもとわたしが生まれ、女房と巡り合い、なんとその結果、子らと出会えて喜ばしい限りであるが、親はいつか不在となってわたしも消える。
生命の営みとして説明しようとしたところで、なぜという核心については堂々巡りの果て巨大な沈黙に行き当たる。
いろいろ思ってしかし何も分からず右往左往するが、結局最後はすべて神様が決める。
そんな手の平の上にいるのだと降参するしかない。
もっともらしく説かれる各種の神についてはピンと来ないが手の平といった感じなら心が開く。
そして、よく分からないなり、その手の平に身を委ねる。
そう決めれば、大船に乗ったような気持ちになる。
だから、すべては神様が決める、そう思うことは当たらずとも遠からず。
虫が光に反応するレベルの直感とも言えるが、まあ煎じ詰めれば虫のようなものなのだからそれでいいのだろう。