日曜日だから身軽で気楽。
電話はかかってこないし、対応すべき課題もない。
ああ、肩が軽くて呼吸も楽。
しかも快晴。
胸がすく。
まず朝一番、生きて在る喜びにひたって武庫川を走った。
ほんのりと陽が差し、空気はほどよく冷えて疲弊した心身がみるみる癒やされていった。
あとは自由。
そう、今日は心穏やかに過ごせる日曜なのだった。
久々、ドラマでも見ることにした。
選んだのは『イカゲーム』。
ここまで話題になっていれば見逃すなどできない。
第1話から引き込まれ、2話、3話、4話と立て続けに見ることになった。
ドラマはまさにこうあるべきだろう。
奇想天外な視点が付与されて、日常をまったく新しい目で捉え直すことができ、つまり生きることへの理解が自然と深まっていく。
ゲームの本質を即座に掴む知力の有無、選択の綾、チームの強弱が生死を分かつ。
これまでも「生きることは戦い」と人は語り合ってきたが、このドラマがあって以降、「生きることはイカゲーム」、そう言ったほうがしっくりくることになるだろう。
自身の日常になぞらえてわたしも共感を覚えた。
わたしの場合は朝電話が鳴ってまたはメールが届いてゲームの内容が知らされる。
うまく切り抜けないと「死」がもたらされる。
原始の頃と異なり、下手を打っても実際に死ぬ訳ではない。
が、感情は太古の昔からアップデートされていない。
生死の境に置かれた緊迫感と同様の心模様に至るのであれば同じ話だろう。
毎日毎日イカゲームを切り抜けて、そして、生きている限りこのゲームから降りることはできない。
どうしたって死神のような存在が影のごとく付きまとい、尻に火がつき手に汗握る。
生きることの真実が画面に映し出されているから、このドラマを目にしてしまえばもう目が逸らせない。
残り30年ほどだろうか。
わたしはわたし自身のイカゲームから逃れようがない。
だからしっかり目を開け対峙するしかない。
その過程で、わたしは滅びても子らに役立つゲームのハックが見出せるかもしれない。
そう思えば、ゲームに真っ向取り組む意欲のようなものが湧いてくる。
そして、せめて女房くらいはこんな物騒なゲームとは無縁に心穏やか過ごしてもらいたいと思う。
そんな願いもまたこの身を投ずる意欲を倍増しにしてくれる。