泳ぎ終えてマシンスペースに移動すると、家内がパーソナルトレーニングを受けていた。
取り組むマシンが時々隣り合うが、特に視線を合わせることもない。
まあたまにはそんなこともある。
天気と同じ。
晴れてばかりであれば、それはそれで極端な気候と言えるだろう。
愛情を持って静かに待てば、やがて元の晴れへと回復していく。
それが最も早道で、若い頃はそれがわたしには分からなかった。
何か突き詰めたり、あれこれ意見したり、事細かに言葉尻を捉えたり、といった形で理屈を持ち出すと、些細な問題であったはずなのに過度にそこに焦点が当たって焦げ付いて問題が延焼してしまう。
そうなって行き詰まり、「責任者出てこい」と勢いづく人生幸朗師匠の姿が決まって浮かんで、思うのだった。
はい、わたしが責任者です。
そもそも些細なことであるから解決など不要であって、たとえばわたしに失言などがあったのだとすれば、言い訳などせず悪かったと伝えた後は、早くほとぼりが冷めるよう、黙って掃除や洗い物やゴミ出しや洗濯などに率先して取り掛かり静かに待つのが最良となる。
食事を作る負担も侮れない。
だからこの日はジムを終え、わたしは夕飯をひとりで済ませて帰ることにした。
うちではこれも一つのいたわりとして遠回しなメッセージではあるが機能するのだった。
ここ最近、朝日新聞にて「定年クライシス」という連載記事がはじまった。
定年後の男性の哀れが描かれ、それを読むと身につまされる。
家でテレビばかり見て目障りだとか妻に邪険にされる理由は様々あっても、根底にあるのはリタイアした用済み男性の存在価値は急落するということであり、それを疎ましいと感じるのは女性の生理的反応なのであるから避けようがない。
だからそれら事例を他山の石とし、老いても尊厳を保つため仕事に携われるよう今から準備しておかねばならず、同時に、万一に備え家庭以外の居場所確保も疎かにはできないだろう。
つまり、わたしたちは来るべき「33期クライシス」に備えねばならず、そのためまずは飲み会を定例会として復活させ定着させることが急務になるということである。
わたしたち33期も子どもたちが巣立って、それぞれ夫婦でのふたり暮らしが始まるという時期に差し掛かった。
周囲と引き比べればわたしなど良い女房に恵まれて幸せな方であるが、いつなんどき誰になにが起こるか知れたものではない。
ほんとうの意味での人生の放課後に集まるメンツはやはりどうやら33期なのだろう。