コツコツと続けてきた勉強が一段落し、家内が羽根を伸ばす。
大阪を発って東京入りし、しばらく気ままに過ごすようである。
ヨガのレッスンに通い、春の街路をサイクリングして各地の名店を巡り、時には押しかけ女房のごとく長男と二男の下宿を訪れて世話を焼く。
夜になればどこかに繰り出し母子でテーブルを囲む。
皆で美味しいものを食べる団欒のシーンが思い浮かんで、わたしも嬉しい。
留守を預かり、わたしは在宅にて業務に励むが、家族は一心同体。
皆が楽しければ、火もまた涼し。
仕事だって楽しくなる。
だからおそらく非常事態に訪れられても、同様。
彼の地を襲った不条理について見聞きし内に形成されるのは、いざとなればとの覚悟。
家族の明日を思えば、虫のいいような絵空事はかすんでしぼみ、現実を向こうに回して腹が決まるというものだろう。
今回の宿泊場所は渋谷駅直結であるから、至便。
長男の住む下北沢に近く、二男の住む高円寺にも近い。
上京したとて息子らのそばから離れないのは同じことなのだった。
そもそも家内の存在がベースにあって、この家族が形作られてきた。
四字で表せば、コツコツという語に集約されるだろう。
倦まず弛まず歩を刻み、何の取り柄もなく他に手段がないから、なんとかの一つ覚えのように、ただただ小さな歩幅を積み重ね前へと進んできた。
そんな母の背を見て、見様見真似で子ザルはヒトへと近づいて、いま現在地が東京。
一人前まであと一歩というところだろうか。
それはそれで楽しい道行きでもあったが、見ようによっては華やぎから遠く重苦しい。
だから家内と正反対の人物は家内のことが気に入らなかったのかもしれない。
在り様は正反対と言える。
バックグラウンドを真面目に築き上げる者がいて、一方、日々お気楽に遊んで暮らし、バックグラウンドをウソで塗り固めて事足れりとする者がいる。
キリギリスからすればアリはバカにしか見えない。
そういうことだったのだと今では分かる。