午前中は自宅で仕事をこなす。
これで食生活が様変わりした。
以前は早朝に出勤し、そこらで朝を食べ、家内手作りの弁当とは別にそこらで昼を食べ、遅くなるときにはまたそこらで夕飯を済ませ、かなりの頻度で一杯(たいてい一杯では止まらなかったが)引っ掛けてから帰宅した。
いま、外で間食する頻度は激減し、三食のほぼすべてを家で食べる。
かつ、お酒も飲まず今回の禁酒期間は昨日時点で70日に達した。
かつてはカロリー過多で澱んで汚れた川を遊泳していたようなものであった。
翻っていま身をひたすのは山あいを静か清らかに流れるせせらぎといったところだろうか。
たとえば、この日。
朝、家内が調理したパンを食べヨーグルトを食べ、ケーキを分けてほんの少し甘みを楽しんだ。
昼は家内が作ってくれた野菜たっぷりのお好み焼きを食べ出勤。
夜は幾皿かの小品が食卓を飾った。
伊丹の道の駅で買った新鮮な素材が家内の手により滋味豊かな料理に化けた。
豚肉と豆腐のチゲスープは味噌がミソ。
結構値の張る味噌である分、味わい濃厚でご飯の美味しさが増した。
ぶりは脂がのってこれまた濃厚で、野菜の油漬けがほんのり甘く、水なすが添えられて季節感あって風流。
健全であり健康。
小さな変化が継続的に積み重なって、人生後半、わたしは心身ともに見違えることになるだろう。
夕刻、田中内科クリニックでニンニク注射を受け、その後、アキシノにしっかりカラダを60分揉んでもらっていたから、健康感はMAXに達していてその確信は強まるばかりだった。
そして、家内が明るく元気。
これが何より素晴らしい。
元からそうであったが、子らの手が離れて余力がすべて家内の内なる動力として溜め込まれ、その笑顔と饒舌が弾けてはち切れる。
朝、ヨガスタジオに出かけ、昼は整体でカラダをケアしてもらい、快調が輪をかけすこぶる快調。
家内は言った。
こんなに楽で楽しい毎日でいいのだろうか。
これまでほんとうに大変だった。
辛く苦しい道を乗り越えて来たからこそ楽で楽しいと感じることができる。
足して二で割れば人生とんとん。
だからこれでいいのではとわたしは言った。
夜、家内がビデオ録画していた『永遠の門 ゴッホの見た未来』を観ようと話し合っていたが、マッサージ効果が顕著になって、わたしは睡魔に抗うことができなかった。
映画は明日観ようと言い残し、楽で楽しい余韻とともに快眠のひとときに身を預けた。