KORANIKATARU

子らに語る時々日記

少年RSAのDNA

先日の日曜日、大阪に向かう電車に乗った。

端に一人で座る少年の隣に夫婦で腰掛けた。

 

ふと目をやると少年が手にするヘッドキャップにRSAと手書きされていた。

午前中の練習を終えて少年は帰宅の途にあるのだろう。

 

「あ、あしらぐの子だ」

少年をチラと横目で見てわたしは家内に小声で言った。

 

電車が尼崎駅に入り、少年は立ち上がった。

ドアが開き電車を降りるとき、少年はこちらに向き直って笑顔を見せて、わたしたちに会釈した。

 

なんと礼儀正しい。

知らぬ誰かに対し知らぬ顔せず笑顔で挨拶できるところが行き届いている。

わたしたちは感心し、だから夫婦で芦屋ラグビー時代を懐かしむことになった。

 

十年ほど昔のこと。

毎週日曜の朝、子らを連れて芦屋に向かった。

 

子らにとっては厄災だった。

やっと訪れた安息の日曜日。

のんびりしたいのにそこにハードな練習が降りかかる。

 

しかし息子たちは次第にそれが当たり前だと慣れていった。

 

泥まみれとなる肉弾戦は、人類の歴史のなか長い期間にわたって「ノーマル」な状態であったはずで、だから回避できないとなれば否応なく適応できるものなのだろう。

 

子らはまもなくラグビーを楽しむようになっていった。

 

息子らには質実剛健な男になってもらいたい。

親としてそう期待していたが、思った以上の恩恵があった。

 

さして取り柄はなくても、少々のことではへこたれない男子になって言わば芯が備わった。

加えて、肝っ玉も太くなった。

多種多様な人が渦巻くなか涼しげに平常心を保って、人波にあたふたしない。

 

対人の海を悠々と渡っていく。

芦ラグを通じそんな泳力が身についたと言えるだろう。

 

根暗で陰気、いつも何かにびくびくして目に涙を浮かべて俯いている。

子どもにそんな虚弱軟弱体質が見られるのであれば間髪入れずわたしは助言するだろう。

芦屋でラグビーをさせればいい。

 

もし芦屋ラグビーがなかったらうちの子らはどうなっていただろう。

夫婦でふと想像してみた。

意気消沈気味で出力の低いクローンみたいな姿が思い浮かび、家内の脳裏にも似たような像が生じたのだろう。

夫婦で一緒に寒気を覚えた。

 

ちょっとアホだが頑丈で元気、そんな息子らが愛おしい。

ひとえに芦ラグでしっかり鍛えてもらったおかげ。

そこで分けてもらったDNAは彼らにとってもわたしたちにとっても生涯の宝物となった。

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2022年1月12日 朝食 あっさり柔麺

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2022年1月12日 夕飯 しめはポーク

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2010年8月29日 芦屋中央公園