KORANIKATARU

子らに語る時々日記

心得るべき原則はシンプルな方がいい

弁当を持って家内が事務所にやってきた。

会議テーブルに座って皆で昼食を取り、家内がよく喋るものだから場がみるみるうちに和んでいった。

 

さっきまで事務所のボスが誰かからの八つ当たりの電話を受けて平身低頭していた。

だから沈鬱な空気が垂れ込めていたのであったが、一気に晴れた。

 

平身低頭といっても、こちらに落ち度は何もない。

向こうが自分でミスして、それでこっちに当たってきただけの話だった。

 

頭に血が上っている人間に正論は通らない。

 

だから黙って聞いて、平身低頭という図になるのであったが、周囲に与える影響は小さなものではなかった。

 

たとえば、父親。

誰だって父親が滅多打ちにされる姿は目にしたくないだろう。

 

わたしは平静であったが、横で聞き耳を立てていた助さん格さんはぐったりしていたし、朝の職場の士気は目に見えて損なわれていた。

 

社会に出れば役割という制約に縛られる。

だから相手が打ってきても正当防衛だと言ってストリートファイトに持ち込めるはずはなく、向こうは確信犯、役割で手足を縛られている人間を、それが腹いせ、思いっきりぶっ叩く。

 

近頃はGoogle口コミを見ればその手の人物の真相を窺い知ることができる。

見れば案の定。

業者の見え透いたおべんちゃらを除けば不評が並び、それらを組み合わせればくっきりとその人物像が明瞭に浮かび上がった。

つまり純度百、歩く不評の百貨店と言えた。

 

弁当を食べながら皆でその人物のGoogle口コミを見てつくづく思った。

 

本当にうちは素晴らしい人間関係に恵まれている。

いわく付きの人間に関わらずとも仕事が成り立ち暮らしてゆける。

 

だから仕事が幸福感の源泉になる。

 

そして、これが自営業の最大の恩恵と言えるのだろう。

ややこしい人間と巡り合っても距離の取り方は自由自在。

縁を切っても後味が悪いこと以外大した実害はない。

 

ところが組織人ならこうはいかない。

サイコが上司として君臨し、生殺与奪をサイコが握る。

そんなケースが起こり得る。

 

そうなれば一体どうすればいいのだろう。

自滅が最悪。

サバイバルするため総力結集し、全力を尽くす必要があるだろう。

 

夕刻、ヘッドスパを受け終えすっきりとした顔の家内と駅で待ち合わせ、飲み屋の暖簾をくぐった。

子らは留守。

一人分だけ食事を作るなど面倒だから外で食べようとなる。

 

カウンターに腰掛けて二人で飲んでまたサイコの話になった。

サイコからの昨晩の電話を横で耳にしていたから、家内もダメージを受けた当事者なのだった。

 

単に虫の居所が悪いだけ。

一晩寝れば相手にも良識が戻る。

そう思ってただ聞き役に徹したわたしであったが、事はわたしだけでは済まず、家内も眠れない夜を過ごす羽目になったのだった。

 

ものもサイコも使いよう。

サイコからも学べると昨日の日記には書いたが、考えを改めた。

 

皆まで不快な思いに引きずり込んで、傷つけてしまうのであれば笑えない。

 

おかしなことを言ってきた瞬間に跳ね返す。

 

せっかく平和で幸福なのに、好き好んで不快を招き入れることはない。

わたしは門番。

心得るべき原則はシンプルな方がいい。

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