1
品川駅で降りる。
構内にあるはずの千疋屋を探すが見当たらない。
おみやげは後回しとし改札を出た。
駅の東西を結ぶ巨大な通路に風が吹き渡る。
寒さの度合いは大阪の比ではない。
冷気が凍みる。
東側に出てあたりを見回す。
ビルが四方に見えるがその空間にプリンスホテルの文字はない。
生来の方向音痴であり勘も鈍い。
易々と目的地に至るということがない。
最初から最後まで遠回りを定められた人生なのだと諦めている。
もと来た道を戻り続いては西側に出る。
プリンスホテルはその正面にあった。
時刻12:50。
開宴10分前に到着することができた。
フロントを横切りメインタワー10階、ムーンストーンの間へと向かう。
壇上には「早稲田大学理工学術院『大野先生、還暦のお祝い』都の西北 心のふるさと われらが大野研究室」との文字が掲げられている。
その横断幕の下、会場は二百人にも迫る数の大野研出身者で埋め尽くされていた。
2
知った顔がチラホラ見えるが久しぶりであり照れくさいので向こうが気付くまで知らぬふりを決め込む。
しかし待てど暮らせど誰ひとり私に気づかず声をかけてくる者がない。
賑やかな会場、若気の私であればいたたまれないような孤立感に苛まれたであろうが、あれやこれやあった人生でありすでに四十も半ばを過ぎている。
にこやか笑ってそこで一人滞空することにした。
自ら手酌で注いでビールも二杯目というところ。
現れたのはツジ君であった。
こっちだよと私の手を取り、輪に招き入れてくれる。
二十年ぶりに顔を合わす仲間たちがそこにいた。
貫禄を増し重厚となったタイソン、ほっそりとし美しさに磨きがかかったホソネさん、相変わらず若々しくその笑顔が心をほぐしてくれるイマギ、精悍になって頼もしくなったツジ、学生の頃より男前さては何かあったのかズッキー。
私の青春を彩った面々。
記憶の一コマ一コマに鮮明に残る、当の登場人物たちがそこにずらりと並んでいたのだった。
3
大野先生は健在であった。
お目にかかるのは数年ぶりであったが、毎月配信される研究室便りを欠かさず読んでいるので、なんだかとても身近に感じられる。
遠く遡ること二十年以上前、不出来な学生であった私からすれば、当時の先生は恐れ多いにもほどがあるほどに恐れ多い存在であった。
いま思えば現在の我々よりも年若い年齢で研究室の長を張っていたのだから、気合いの入り用はそんじょそこらのはずがなく、二十歳そこそこの若造が気圧されるのも当然であろう。
赤いチャンチャンコを贈られ相好を崩す先生のお顔を遠目に見つつ、その話に耳を傾ける。
六十にしてなお翳りなく円転自在の語り口は更にその巧手の格を増し、ユーモアあふれる下地に深く鋭い言葉が散りばめられるものだから話に惹きこまれずにはいられない。
特に印象に残る話があった。
英国の評価機関が発表する2016年の大学ランキングにおいて、卒業生の有能ぶり活躍ぶりという側面に着目したとき、早稲田大学は日本で1位であり、世界でも33位にランクされたという。
さすがに在野の早稲田。
野に放たれてこそその真価を発揮するのだろう。
4
還暦のお祝いの締め括りは校歌斉唱。
紺碧の空に続いて都の西北。
大阪早稲田三金会にて合唱される校歌は場末の飲み屋を揺るがすほどにはパワフルではあるが、本場、都の西北で耳にする校歌はまた格別であって、心震えて喝が入る。
最後に先生が挨拶のため壇上に立たれた。
先生が話される。
校歌の一番から三番までを通じ、共通して現れる言葉が一つだけあります、みなさん気づいていましたか。
しばし沈黙のあと、先生が正解を明かす。
理想。
早稲田大学創設の者らは、理想という語をよほど大事にしたのでしょう。
あまりにも耳に馴染んで陳腐とさえ成り果てていた「理想」という語が、皆のなか息吹き返し、輝きを取り戻した。
そうそう、理想。
私も心あらわれるような思いであった。
そして先生のあとを継いで奥様が挨拶される。
教え子らへの心からの愛情が感じられる、お優しい言葉を一同噛みしめるようにし聞き入った。
先生が教え子らを誇りにし、その活躍を我がことのように喜び声援を送り、日本を救う者は必ず早稲田から現れるのだと期待を寄せる、その心を奥様が代弁されたように思えた。
5
この日、我ら一行のキャプテンはツジ君であった。
プリンスホテルを後にし、ツジ君に引き連れられウィング高輪の「つきじ植村」へと向かう。
ここでトリとヨシムラが合流した。
学生当時と全く変わらぬ風貌と服装のヨシムラであった。
隔たった年月があったなど露も感じさせない。
一方、トリもかつての面影そのまま。
相変わらず深みあって渋い。
仲間内で007の主演を選ぶなら対抗馬すらなく満場一致でトリが推挙されるのは間違いないであろう。
学生時代のある一日を再現したかのような飲み会となった。
小遣い制だというヨシムラの話に涙し、組織力学のなかでは個人など脆いものだというヨシムラの話に胸を詰まらせ、ふるさと納税でかなり得したというヨシムラの話を軽く聞き流した。
学生時代の空気を意図することなくそこに現出させるヨシムラの天然添加物的な役割は真似しようにも真似できないものであろう。
夕刻、二軒目に行こうとなって軒並びにある「えん」へと店を移る。
ややほの暗い暖色系の照明がノスタルジーをかき立てる。
再会を祝す場にふさわしい。
私は皆に助けられた。
東京で一人暮らすなか皆がいてどれだけ助けられただろう。
ことあるごとに皆のことを思い出す。
受けた恩は言葉に尽くせない。
ありがとう。
二十年以上ぶりに会ってそう伝えることができほっとするような思いであった。
大野先生の還暦祝いという機会があってこそ、かつての関わりが尻切れトンボとならずこの場を起点に再生されることになった。
そして、途中でサプライズがあった。
大野先生がお近くで二次会をされていたらしく、奥様とご一緒に現れたのであった。
トリが感心して言う。
あんな偉い先生なのに、気さくで、気遣いがあって、親しみやすくて、すごいね。
6
お酒を飲めば締めはラーメンとなる。
この近くにラーメン横丁があるんだよと言ってヨシムラが先頭を切って進みはじめた。
男衆が後に続く。
うらぶれたような路地裏へと入っていく。
いかにも怪しげだが、ヨシムラが確信持って歩いている様子なので連なって歩く。
先の先まで進んで泥棒しか行かないような道幅となる。
ここにラーメン屋などあれば話は一気にファンタジーだ。
ヨシムラ隊長のノルマンディー上陸作戦は出鼻から見当違いであったのだ。
引き返し、今度はツジ君の後に続く。
ラーメン横丁は一本筋を違えた真隣の区画にあった。
人気店だという蒙古タンメン中本には長い列ができていた。
躊躇するがトリが言った。
これくらい何でもない。
意外に回転は早くほどなく座席に案内される。
このタイミングでタイソンが手を振って帰っていった。
とてもラーメンなどは食べられないが列に並ぶ間だけはと残り僅かなひとときをと一緒に過ごしてくれていたのだった。
タイソンの堂々とした風格の後ろ姿を皆で見送った。
折角なので私は大盛り、他は並盛り、トリはハーフ盛り、さすが自己管理ができている。
アルデンテな麺が歯ごたえ合っておいしく、ズシリとくる辛さに味覚が魅了されていく。
辛い辛いという以外に言葉なく麺をすする。
まさにホットで幸福な時間。
心まですっかり温まる。
駅の改札で輪になる。
互いに再会を誓い合う。
じゃあ、と学生時代と何ら変わらず手を振って、それぞれの帰途についた。
7
私はみどりの窓口に向かう。
どれもこれも満員で21:00発の座席した取れなかった。
一時間はある。
さて何をして過ごそうかと思案しつつチケットを買って出ると、そこにツジ君とズッキーが待っていた。
時間あるよね、次行こうと手を引かれる。
品川駅高架に沿って歩き、僻地感漂うような居酒屋に連れられた。
ツジ君の行きつけであるようだ。
おすすめどころをツジ君が注文していく。
運ばれてきたトマトチューハイで乾杯する。
健康的な味わいだ。
お酒が入ると時間の進みは瞬く間であり気付けば汽車の時刻が迫っている。
20:45には席を立つと私は言うがツジ君は更に料理を注文しお酒を追加する。
時刻は20:40。
さすが商社マンというべきか。
時間など気にも留めてないかのようツジ君は悠然と構えている。
そして、数分しかいられないから早くしてねと厨房に無茶を言う。
わたしたちはほぼすべての料理を手付かずのままにし店を後にすることになった。
8
早足で駅へと向かう。
ズッキーと別れ、横浜まで新幹線で付き合うよというツジ君と改札をくぐる。
来たときには目に留まらなかった千疋屋がそこにある。
時間は急くが、土産も疎かにはできない。
列に並んで見繕う。
残り2,3分というところ。
階段を駆け上がろうとする私を、ちょっと待ってとツジ君が制する。
彼は売店に入っていった。
私たちがホームに着いたとき、すでに新幹線には人が乗車し始めていた。
肝が冷える。
列の後ろに続いて大慌てで乗り込む。
こんなアクションスターみたいな乗り方は初めてのことであった。
デッキの乗降口附近に陣取る。
ツジ君が先程買ったばかりの缶チューハイを開け乾杯する。
ベビースターラーメンを手に分け合ってつまみとする。
この図について考える。
新幹線のデッキ。
四十半ばのおっさん風情がベビースターラーメンを分け合って缶チューハイを飲む。
この絵に題をつけるなら、「友達」という言葉しかあり得ないだろう。
この場面だけではない今日の全てのシーンがそのようなタイトルとなる。
会えて嬉しかったとツジ君が言い、会えて嬉しかったと私も返す。
そうそう、これが友達だ。
やはり早稲田は素晴らしい。
新横浜に到着する。
ツジ君は春から香港に赴任になるという。
香港に遊びに行くからさ、と言ってツジ君を見送る。
私はベビースターラーメンの残りを託された。
自席へと車両を移る。
腰掛け車窓に見入る。
真闇ななか時折街灯が過ぎていくだけの何でもない光景すら味わい深い。
明日、東京は雪。
電光掲示に天気予報が流れる。
とても素晴らしい一日であった。
胸のうちたくさんのおみやげを抱え、私はひとり大阪へと運ばれた。