ビュッフェで育ちが明らかとなる。
鳴門二日目の朝は洋食。
ハンバーグやウインナーなど子どもが喜ぶようなメニューをわたしはてんこで盛って、卑しい育ちを白日のもとに晒した。
二男はと見れば、食べる分量だけ上品にもって、おまけに過半をサラダが占めていた。
父子で似て似つかず氏素性を別にするとしか考えられなかった。
家内の苦笑をよそに、わたしは取れるだけ取った食材を喉に押し込んでいった。
食い意地という意気地だけがわたしの味方だった。
初日は雨であったが二日目は晴れ間に恵まれた。
温泉で過ごしオイルマッサージを受けるという家内と別れ、わたしたちは海に出た。
穏やかな波間に揺蕩って、午前中はたっぷり海水浴を楽しんだ。
昼を過ぎても腹は減らず、午後からは父子でサビキ釣りに勤しんだ。
息子の仕掛けにはサバやスズキが掛かるのに、わたしには豆アジばかり。
アホでも釣れるのでだんだん飽いて、エビで鯛を釣るのだと意気込む二男の助手役に徹することにした。
大物をおびき寄せよう。
そう言って、わたしは釣り餌のエビを鷲掴みにして海に放り投げ、それに応じて魚影が動くのが面白く、二男と交互に投げて、結構な量のエサを費消した。
いつしかわたしのなか、小学生の頃に友だちと遊んだときの空気感がよみがえった。
年齢のズレが補正され、このときわたしと息子は童心の友だち同士も同然であった。
親子であっても幼馴染。
釣りを通じ、父子の間にうぶな友情が育まれるなど思ってもいなかった。
釣った魚を海に返しそれら魚を話題に息子と二人、ホテルの展望温泉でひとときを過ごした。
夕飯はリターンマッチ。
前日訪問が叶わなかったスガッチィーのピザをテイクアウトすることにした。
徳島まで片道25kmを飛ばして、考えた。
普段、ピザを食べるためそんな距離を往復するなどあり得ない。
旅によって心が解き放たれる。
距離さえ意に介さないほど自由になるのだと、旅の効用を身をもって知った。
おかげで徳島市街の夕刻の空気に触れることができ、至上最強の美味しさのピザにありつくことができた。
美味によって強く胸に刻まれる時間を家族と過ごし、スパークリングを横目にわたしはノンアルビールをじゃんじゃか飲んだ。