日曜の夜。
週明けの業務に備え、マッサージを受けることにした。
指名したのは名人アキシノ。
しかし、いつもと様子が異なった。
指にまったく力がない。
カーロス・リベラの弱々しいパンチとそれに涙する矢吹ジョーの姿が頭に浮かんだ。
おそらく丸一日予約で埋まり朝から晩まで施術して、もはや力の限界に至ったに違いなかった。
そうと分かるから「もっと強く」とはとても注文をつけられなかった。
やむなくわたしは思い出のなかに分け入った。
ちびっ子の頃、息子が小さな手でわたしをねぎらい肩を揉んでくれた。
単なる真似事のようなものだから、それでほぐれるといったことはなかったが癒やされた。
指に力はないが、肘や掌だといつものアキシノであった。
だから少しは声が漏れ、ここぞとばかりアキシノが「効いていますか」と聞くものだから、ああと答え、肘や掌がより一層多く動員されるようわたしは意識的に声を漏らした。
いわゆる「感じているフリ」というのはこういうことかと思いつつ、アキシノの過酷な日々を案じるような気持ちになった。
朝から晩までカチコチにこわばったカラダが眼前に差し出され、頭の先から足先まで揉みほぐしていかねばならない。
それに比べればわたしの業務などなんと軽微なものだろう。
なんのこれしき。
この先しんどい時にはそう思えるであろうから、施術の効き目はあとでやってくることになる。