土曜日は朝から夕刻までデスクワークに勤しんだ。
普段は外出が多いのでそのようなことは珍しい。
かなり捗った。
仕事にかかる前の気重さが消え去って、心は晴れ渡った。
頭を使うのは楽ではない。
だから相手がデスクであっても立ち向かっていく際には幾許かのストレスが避けられない。
ふと、一日の重圧について比較してみた。
外回りの日は客先にてただただ話をする。
話し始めればいくらでも話せて、「うまいこと言うなあ」と自らを自画自賛して心地よく、終わればこれまた爽快。
しかし書類作成同様、責任を伴い果たすべき目的が存在することに変わりはない。
だから、場に臨む際には(どれだけ場数を踏んでも)一定の緊張がつきまとう。
見比べて思う。
わたしにとって書類仕事がホームで、面談業務がアウェイ。
自由度が大きい分、どちらかと言えば前者の方に威力があって利き腕と感じる。
利き腕のパンチが背後に控えているからこそジャブが活きる。
そんな品揃えで日々業務というリングに上っていると言えるだろう。
いずれにせよ、仕事は戦闘になぞらえられる。
終わった後になって楽しんでいたと気づくこともあるが、始まる前には物憂さが伴いその最中は無我夢中。
どうあっても楽ではない。
そんなことを漠と考えながら、手伝いに来ていた家内と一緒に事務所を後にした。
南森町で乗り換えてコーヨーで買物し、この歳になれば赤い肉を食べる必要があるとのことで牛肉を買い込んだ。
家に着くとすぐ家内は植木の手入れを始め、フットワーク軽くクルマを走らせコーナンに土を買いに出かけた。
そんな様子を見て思う。
なんと元気なのだろう。
家内の帰りを待つ間、わたしは自室のパソコンを開いた。
このところはGoogleドキュメントを活用している。
以前はDropboxに保存している書類をいちいち検索して開いていたが、そんな手間は不要。
いつでもどこでもシームレスに続きにかかれるので実に重宝している。
上がって下ってという行程が不可避の大阪駅経由より、段差のない南森町駅経由の方がはるかにスムーズで楽。
だから、大阪駅にはほとんど近づかない。
そんな話に似ているだろう。
まもなく家内が帰宅して、すぐに夕飯の支度に取り掛かった。
彼女の場合、物憂さとは無縁。
次の動きが速くて全く無駄がない。
家内にとって料理は軽いジャブのようなもの。
そう思えた。
まだ見ぬ多彩なパンチが背後に控えているから底知れない。