電車に乗って座席に腰を下ろしたとき、着信があった。
家内からの電話だった。
とっさにわたしは電車を降りた。
いま南森町のコーヨーに寄るところだと家内は言った。
どこかで夕飯でも食べて帰ろう。
そんな誘いだと思っていたのであてが外れた。
しかしたまたまわたしも南森町の駅にいたから電車を降りて正解だった。
階段をあがってコーヨーへと向かい、店内を歩いて家内を探した。
不思議なものでどれだけ大勢の人がいても、一瞬で家内を見つけることができた。
合流しカートを引き受け、後に従った。
カートを押して支払いを済ませ、荷物を運ぶ。
家内からすれば電話ひとつでなんと重宝なことだろう。
前夜のこと。
行きたいイタリアンがあると家内が言った。
ちょうど木曜はジムが休みなので、仕事後に待ち合わせて一緒に行くことにした。
ところが当日になって確認すると、そのイタリアンも木曜が定休日だった。
予定を変更するよりほかなかった。
だから夕刻に電話が鳴ったとき、「やっぱり、どこかで食べて帰ろう」との誘いだとわたしが思うのも無理はなかった。
コーヨーで買い物し、家路に就く。
これは平日の日常の範疇で、そうなるとわたしは飲まない。
かつてのわたしであれば、飲む気のまんま何かと理由をつけて飲む流れを維持しただろう。
しかしそうはせず、家に帰って武庫川を走り、さっさと風呂に入って家内のこしらえた料理を食べノンアルで済ませたのであるから、これを成長と言わずして何と言う、といった話であった。
この歳になって学んだ。
日はまた昇る。
しかも結構すぐに。
だから何も慌てることはない。
火曜、水曜、木曜とノンアルにて静かな夜を過ごしたが、今日、金曜の夜、日はまた昇る。
夫婦でジム活に励み、西宮阪急で美味しいものを買い、そしてご来光の時を待つ。
「日の出」の特別感がことさら際立つことになる。