夜、風が涼しい。
ベッドに横になり秋の空気を満喫しつつ本の頁を繰る。
隣の家から家族団欒の声が聞こえてくる。
左隣からは母娘で何か一緒に歌う声。
歌番組でも観ているのだろう。
一方、右隣からは父娘の歓声が届く。
こちらはスポーツ観戦だろうか。
そんな平和な暮らしの声によって心が憩う。
やがて記憶の淵から遠い昔の声もぽつりぽつりと浮上し始めた。
大阪下町に住んでいた頃。
夜になってたまに聞こえてきたのは、空き瓶が割れる音や物を投げる音に混ざっての罵声や金切り声だった。
そんな声が記憶のはるか彼方で小さく響く。
また始まったと当時は聞き流していたが、不穏な声は知らず知らずのうち心を苛む。
渦中の外にあっても、その害を免れることはできない。
おまけにそんな語調が歌のサビのように乗り移るということもあるかもしれない。
子育てする場としては不適。
受けた影響は後で修復し難く、育ちも露わ、生涯尾を引くことになりかねない。
そう見切りをつけて子らが物心つく頃には引っ越した。
その判断は正解だった。
ここらで暮らしてそんな声とは無縁になった。
昼夜を問わず、聞こえてくる声は終始穏やかで子らの言葉遣いはわたしのそれよりはるかに上品。
これはもう環境の産物という他ない。
リビングや寝床で息子らともよく話をした。
小さい頃もそうだし、高校生になっても。
いま聞こえる隣家の声に、うちの家族の声も混ざっていたのだった。
秋の風に運ばれて、更にいろいろな声が耳元に届く。
次第、隣家の声を押しのけて、記憶から発せられる声の量が勝っていった。
印象深く聞こえてくるのは母の声。
やんちゃだったから狭い家で弟と一緒に暴れて、よく怒られた。
ああ、懐かしい。
懐かしすぎて涙が出る。
そうそう、ことりの話。
悪さをすると母が決まってことりのことを持ち出した。
悪い子を見つけると空からことりがやってきてさらっていく。
母はそう言った。
悪さをする度、弟と二人、空を見上げた。
雲間の向こうからいまにもことりが姿を現すのでは。
あっ、とか言いつつ兄弟揃って震え上がったものである。
本を閉じ、窓の向こうに目をやった。
悪い子にならぬよう、母がしっかり育ててくれた。
だからこれまでことりを目にしたことは一度もない。