昨晩も途中下車した。
カウンターの隣席は建設関係の親方といった雰囲気の方がお二人。
日に焼けて腕が太くお腹も出ていて声が大きい。
そんな二人がゴルフの話で盛り上がっていた。
純度百%、話題はゴルフのことばかり。
家族の話もなければ仕事の話もなく下ネタもないし当然ロマンスのロの字もない。
ひたすらゴルフの技術談義を交わし合っている。
わたしはひとり子らの写真を眺めて昔を懐かしみ郷愁にひたった。
夢中になれることは人それぞれ。
我が子の話に耳傾けてくれるようなお人好しはいないから、わたしの場合はひとり寡黙に、しかしその実、心の内では密か口数多く過ごすのであった。
食事を終え、昨晩同様、風呂に向かった。
この日、湯船には入れ墨の入った年若い任侠の徒が4名集っていた。
たまにひとりが湯からあがって腕立て伏せなどするので、わたしは自身の少年時代を思い出すことになった。
場所は下町。
夜、友だちらと集まるとなれば銭湯だった。
長々と話し、下町では強さが命であったから、時折、みなで腕立て伏せやスクワットをしてカラダを鍛えた。
いま皆が何をしているのか風の噂にも聞かないが、そんな風に過ごしたうちの何人かは任侠の徒になったのではないだろうか。
ナガシマも絶対そうである。
家で猿を飼っていたからその時点で普通ではなく、凶暴だったその猿にも増してナガシマは凶暴だった。
小学校を卒業した後、ほとんど誰とも顔を合わせていない。
が、思いがけずナガシマとだけは再会することになった。
何年か前、鶴橋の焼肉屋でのこと。
目が合って、ひと目で互いが誰だか分かった。
同じ座敷の向こうとこちら。
双方家族連れでその団欒の合間合間、まるで昔の恋人同士がするみたいに相手を捉え、互いに視線を何度も交差させた。
目は合うが、しかし結局言葉は交わさずに終わった。
よお、元気か、くらいの言葉は双方の内側で何度も発せられたのだろうが、口にされないままなので相手に届くことはなかった。
風呂をあがり、そんな光景を頭のなかで再生させつつ路地を伝って駅に向かう。
この夜もまたクリスマスツリーに目が留まった。
ひとり隣町を歩けば、毎夜心の中に思い出の灯がともりツリーの光と呼応する。
ナガシマは札付きの悪だったが、思えばわたしにとって最初の友だちの一人と言えた。
昔の話とはいえ友だちだったのだから特別な存在。
たまたま会うなど千載一遇のチャンスだったのに、なぜ声をかけなかったのだろう。
もし声をかけていれば、その場ひとときであれゴルフ談義よりはるかに面白い話ができたに違いない。
もうチャンスは逃せない、だんだんそんな年齢に差し掛かりつつある。