到着したその日、二男からメッセージが届いた。
何もない僻地。
飯は刑務所レベル。
男三人で耐えるしかない。
行間に絶望との文字が垣間見えたが、わたしは彼を励ました。
たまにそんな過ごし方をするのも悪くない。
日常のありがたさをそこで学べばいい。
幸い星光66期の友人と連れ立っている。
ひとりは東大、もうひとりは京大生。
彼らと一緒だから、眼前の劣悪を笑いに変えて楽しむに違いない。
案の定、数日後にはネガティブな言葉はすっかり影を潜めた。
だてに南部や黒姫で過ごして来たわけではない。
星光生にかかれば、どこだって住めば都と化すのだった。
そして、先日。
友だちができたとの報告が寄せられた。
筑駒出身の東大理三の二人と仲良くなったとのことであった。
うちひとりは理三首席合格者だというから、66期最強男子の上を行く。
筑駒など関西に暮らしていて接することなど全くない。
似た響きでせいぜい東生駒が思い浮かぶが、ほど遠い。
そんな貴重な縁はぜひとも大切にしなければならない。
くさい飯を食った仲なのである。
合宿免許グループを組成して、東京にて定期に同窓会を催すべきだろう。
息子にそのように提案したとき、わたしのなか遠い昔の記憶が浮上した。
大学生のときのこと。
西表島を旅した際、上智大学の子と知り合った。
専門分野であるとのことで西表島の植物についてテンション高くいろいろと教えてくれたのであったが、わたしにとって植物は植物、その値打ちが全く理解できなかった。
ただただ感心するふりをし続けて、その言葉はなにひとつ頭に入ってこなかった。
東京に帰ったあと当地で撮った写真が送られてきた。
お礼の返事は送ったが、後が続かず交流は早々に途絶えた。
いまなら携帯がありメールがありラインがあるから、緩やかな交流を永らえさせることは難しくない。
あの人はいまどうしているのだろう。
ふっと思い出したときに気軽に声を掛けることができれば、どれだけ豊かなことだろう。
遠い目をして物言わぬ過去を振り返るより、現在進行でその続きに接することができた方がいいように思う。