湯上がりに窓際に立ち夜風に当たった。
その涼感にひたって思う。
この清涼を屋内に行き渡らさなければ勿体ない。
家中の窓を開けて回ることにした。
二階から三階にあがり各部屋を回り、風が吹き抜けて気がついた。
息子たちはここにはいない。
日頃は喧騒の只中にいる。
だから紛れているだけで、薄明の時刻、しんと静まる心中には無防備に寂寥が姿を現し、容易にそこにスポットライトが当たることになるのだった。
不在感を内に抱えたままソファに腰をおろし、屋内の各所に目を注いだ。
ここで二つの若き気概が育まれ、彼らはいまここにはいない。
わたしが在宅ワークを組み込み家に滞在するようになったのは、実は自らの意思によるものではなく、場が密度を保とうとする一種の物理現象の結果なのかもしれなかった。
そんなことを考えているうち夜は深まり、視界を覆う闇は更にその濃さを増していった。
視覚への依存から解放されて、感覚が冴えに冴えていると感じられた。
普段は感知できない存在を捉えることができるのではないか。
そう思え、暗がりのなか目を凝らしじっと息を潜めた。
いろいろな思い出だけが無音のまま暗がりに映写され、わたしはそれら移ろう景色をじっと凝視した。
そのうち姿をふっと現してくれるかもしれない。
そう待ち望むが、わたしの能力不足か、思い出以外そこに浮かぶものはなかった。
念じ続けるも虚しく、時刻はまもなく午後8時になろうとしていた。
オンラインでのミーティングが始まる時間だった。
照明を灯し自室のデスクにわたしは腰を据えた。
そして、賑やかな会話のなかに飛び込んで人一倍、饒舌を奮った。
何か息づきはじめていたのかもしれない暗がりは宙の向こうにかき消えた。

