甥っ子がうちにやってくる前夜のこと。
夜中に家内は起き出して、いまは空室の子供部屋にてあれこれ物色し始めた。
わたしも目が覚め、何事かと様子を見ると、子らがかつて手にした読み物などを家内がかき集めているのだった。
きっと何かの役に立つ。
そう思えば、家内はじっとしていられない。
かわいい甥っ子のためとなれば、なおさらそうなる。
かつて占い師の坪谷さんはこう言った。
あなたの奥さんは「善の人」ですよ。
なるほどその言葉のとおり。
善かれが家内を導いて、そんな善かれが息子を育て、絶えることなくその善かれが湧き続け、こうして甥っ子にも行き渡る。
明け方にも近い真夜中。
わたしは気づいた。
いま目にするのが、「善かれ」そのもの。
ついうっかり見逃していただけで、注意して見れば、うちにはその善かれが溢れ返っているのだった。
野球のあった当日、家内は鳥よしに電話してあらかじめ焼鳥を注文し、用意してあったオペラグラスを甥っ子に手渡し、イニングの合間にタイガースグッズを買いに連れ、深夜の帰宅後は甥っ子をシャワーに入れて汗を流し、うちの息子のお古を着せて、そして家内の弟がハンドルを握るクルマの助手席に甥っ子を乗せた。
そうして善かれを積んだクルマが玄関を出て、わたしたちは揃って手を振った。
時刻は深夜の零時であった。