JR神戸線に乗ったときから、ワールドカップが始まったようなものであった。
スコットランド人と思しき巨体が車両の過半を埋めて見慣れた光景がかき消え、異国の空気が漂っていた。
神戸で地下鉄に乗り換えて、ますますその様相が強まった。
16:15、御崎公園球技場に到着した。
スコットランド対サモア戦のキックオフは19:15。
早めに着いたはずだが界隈はすでに大勢の人で溢れていた。
入り口付近にオフィシャルグッズの売店があった。
二男が何か買いたいというので最後尾を探して列に並んだ。
S字が十重二十重に折り重なったかのような列であり、巻いたとぐろを解けばその長蛇は気が遠くなるほどであっただろうから、もし列が直線であれば並んで待つことを即座に諦めたはずである。
自分のために列に並ぶなどしないが、息子のためならえんやこらさっさであった。
家内は会場周辺の見物に出かけ、わたしは息子と二人で話しつつ列が進むのを辛抱強く待った。
並びながら売店の店員さんを見渡すと、真ん中の女子が可愛らしくて働き者で笑顔がよかった。
あんな人と結婚すればいいと二男に話し、二男はふっと鼻で笑ったが、まんざらでもないようだった。
待つこと1時間半。
ようやく順番が巡って、やはりこれも何かの縁。
わたしたちは、その女子のカウンターに案内された。
意中のグッズのうち幾つかをサイズ違いでもってきてもらって、二男がその場で試着する。
念ずれば赤い糸がそこに生まれて縁になる、とわたしは小声で二男に言うが、恥ずかしいからやめてくれと二男はその横目で言った。
二着選んで、これはここでしか買えない品物なのですか、と二男が女子に話しかけたが、ウェブでも梅田でも買えますよとそのかわいい女子は親切に教えてくれた。
わたしとすれば、二男の思い出に残ればそれで十分。
あのとき親父が一緒に並んでくれた。
ついでに店員さんも可愛かった。
そんな思い出に比べれば、ジャージ二着などあっても無くても大差ないどうでもいいようなことであった。
あちこち見学していた家内と合流し、18:00、競技場に入場した。
家内がヨガのレッスンの後、三宮のニューミュンヘンなどで買ってきたご馳走でまずは腹ごしらえすることにした。
食べつつ、飲み物などを買いに席を離れ、その際、スコットランドサポーターにカメラを向けて言葉を交わした。
どちらを応援するのかと聞かれ、もちろんスコットランドと家内が答え、わたしたちは新婚旅行でスコットランドを訪れミリタリータトゥーも観たと家内が話して、相手が函館、京都、広島などを旅行したというので、神戸の後は、松山がいいよと勧めたりなどして打ち解け、束の間の旅行気分を夫婦で楽しんだ。
まだ満員になる手前、この時間帯が最も楽しかったかもしれない。
グラウンド全体が席から見渡せ眺望よく、ぶつかる音も聞こえて音響もよく、テレビで観るよりはるかに迫力あって見応えあったが、しかし凡戦。
序盤から双方、ボールが手につかずハンブルしてばかりでパスが通らず、試合が途切れ続けて、これが世界かと落胆するような内容であった。
中途からスコットランドは戦術を変え、パス回しだけでなくキックなど交えたからハンブルは減ったが、一方のサモアはまるでウナギでもパスしているのか、ことごとく繋がらずボールが手をすり抜けてばかりだった。
確かにコンディションはラグビーに適したものではなかったように思う。
競技場は密封されて蒸し暑く、息苦しさは耐え難いほどであり、じっとしているだけで汗がしたたり落ち、呼吸も楽ではなかった。
だから汗で滑ってボールは手につかず、湿度が高すぎて肉体的にもきつかったであろうが、そんなことを言っては、ラガーマンは務まらずそのサポーターも務まらない。
戦いであるから誰もが耐えて当然という空気が確かにあって、これはひどいと思うような状況にも誰もが文句も言わず耐えていた。
例えばハーフタイムのトイレや飲み物売り場の混雑ぶりは、混沌というしかなかった。
列というよりは、鳴門の渦潮。
絶えず四方八方から人が入り込んでくるので、最後尾がわからず、結局、無神経な者以外はトイレの扉をくぐるなど不可能であったし、売り子が売り歩くビール以外の飲み物を手に入れるなど夢のまた夢といった激戦であった。
後半になってもサモアはあり得ないようなミスを繰り返した。
調整不足なのかもしれなかったが、あるいは八百長かもしれないとわたしは思った。
ともにイギリス連邦。
スコットランドに大勝を譲って、日本戦では本気を出して日本の決勝トーナメント進出を封じる。
あまりにもサモアに凡ミスが連発するので、そんな話ができているのではといった考えが浮かんでも仕方なかった。
二百有余年前。
それまで増えたり減ったりであった人口が、産業革命がブースターになってイギリスで増加の一途をたどることになった。
雪だるま式に人が増え、結果、多数のイギリス人が海を越え、まるでラグビーのフォワードのように各地になだれ込み、巨大な帝国が形成されるに至った。
その歴史の顛末を一望できるのがラグビーワールドカップとも言え、イギリス連邦諸国が戦い合って、勝利は女王陛下に献じられる。
そう見れば、大きな目的のため小さな部分で折々譲歩が生まれても何ら不思議なことではない。
相撲で言えば無気力相撲。
それくらいにサモアのプレーは稚拙に見えた。
リスペクトに値しない試合だったからだろう。
途中、上半身ハダカのスコットランド人がグラウンドに紛れ込み走り回った。
計2人もそんなことをしたのだから、そのこと自体で試合のクオリティが推し量れるというものだろう。
息苦しさと見どころ少ない試合に耐え抜き、ノーサイドとなったときはチャイムが鳴って退屈な授業から解放されたときのような安堵と喜びを感じた。
腰を上げて帰ろうとすると二男が会場に残って雰囲気を楽しみたいと言った。
見渡せば、そこら中がスコットランド人。
英語を試すいい機会であり、誰かに話しかけ記念写真を撮るまたとない機会と言えた。
それで二男とは別行動することにして、群衆のなか牛歩でわたしと家内は兵庫駅まで30分かけて歩き混み合う電車に乗って家を目指した。
帰宅したときには11時を回って、わたしは疲弊していたが家内はいたって元気で、ささっとハイボールを二人分作り洗濯までおっ始めた。
2023年はフランス大会に行くとの話が一人歩きし始めわたしは生返事だけしてはぐらかせた。
この10月からヨガに加えて本格的にジムにも通う。
男なら一流のラガーマンになって活躍していても何らおかしくなく、そのガッツとバイタリティと向上心を考えれば我が家のリーチ・マイケルは彼女をおいて他に存在するはずがなかった。