相変わらず目まぐるしく忙しい長男の話を聞いて、カラダにだけは気をつけろと言って電話を切ると、まもなく二男から電話がかかってきた。
引っ越しがほぼ終わり高円寺での暮らしがいよいよ始まったという。
寒くないか寂しくないか。
そう聞くわたしに彼は言った。
街には慣れた今度冬に帰る。
その昔クルマで一緒に聴いたさだまさしの歌詞を彼がなぞったので互い笑った。
伝え聞く話から、秋が深まっていく東京の情緒を満喫していると分かって安心。
二男との会話を終え、わたしはひところの記憶と息子のいまを重ね合わせた。
学生時代、わたしは野方に住んでいた。
近所なのでぶらり歩いてしばしば高円寺を訪れた。
寒く寂しかった記憶が色濃くて、そんなひとり暮らしの際、いつか居酒屋で毎晩飲める身分になりたいと願って、もし伴侶が得られれば美味しいものを連日食べ歩きあちこち旅行にも出かけたいと夢見た。
夢というには慎まし過ぎるそれら学生時代の望みはいつしかすべて実現し、勤め始めた後に強く抱いた「いつでも自由に外を歩けるようになりたい」といった切実な願望も叶った。
前者は日常に根ざす内容であり、後者は奴隷の床の夢といった話であるから、それが男の夢なのかと念押しして聞き返したくなるようなちっぽけ感は否めないが、そんな寸法で学生時代以降を生きてきたのだった。
家の自室で午前中の作業を終え、気分転換を兼ね昼を前に事務所に向かった。
土曜の空は晴れ渡り、街は輝き空気がほどよく冷えて清涼で今年屈指の好日と感じられた。
所変わって集中の鮮度が増し、作業はかなり捗った。
事務所の窓を開け放ち、上町台地を吹き渡る風に頭の火照りを冷ましていると、思い当たった。
そう言えばこれもかねてからの願望だった。
いつか仕事のために使う自分だけの空間を持つ。
それが自宅と事務所に自室が計2つ備わって、どちらもMacなど好きな機器類を備え置き、そんな風であったならと昔日に思い描いた理想が具現化したのだからこれもまた上出来な話であった。
若き頃の夢が軒並み叶ったのであるから、この喜びをしみじみ味わいずっと先まで享受しよう。
ああよかった、よかった。
そんな感慨にふけっていると、異なる視点が頭をよぎった。
夢が叶ったというよりも、ようやく準備が整った。
実はそう捉えるべき話なのではないだろうか。
あと30年ほど稼働するとしてこの賞味期限がそんな長期に渡るはずがない。
第一、残り時間がたっぷりあるのに、この程度が人生の達成だと立ち止まったら、ああ情けなやと子らは苦笑いするだろう。
彼らからすれば、わたし程度の願望など取るに足りないものであって、その着眼は一次元高いところにあるように思う。
そのレベルから見れば、わたしはようやく登山口にたどりついたといった程度のものだろう。
つまり、状況が整っただけで遂行からはほど遠く、わたしはまだ何も成し遂げていない。
それが現在地点ということになる。
息子らの眼差しに合わせて、わたしも新たな夢を見る。
そうなるとはここに至るまで想像さえしなかった。
彼らが小学生だった頃、武庫川を一緒に走って引き離された。
走力は当時より更に差が開いたと思うが、その背に引っ張られるようにもうひとっ走りすることになるのだろう。
この最後の夢が人生最大の喜びをもたらしてくれるような気がする。