息子の部屋は掃除が行き届いていた。
憩いの空間として整っていて安心。
雨音が遠くに感じられた。
家内が水回りなど確認し、滞在は時間にして10分足らず。
二男を伴い食事に出た。
雨の商店街を三人で並んで南へと進んだ。
新高円寺駅もほど近い。
そこから丸ノ内線で西新宿に向かった。
午後6時、焼肉「白と黒」を予約してあった。
店主は元ジャンボ白金店の叩き上げ。
期待に胸が高鳴った。
軒並みおすすめどころを注文していった。
そしてほんとうに驚いた。
実に美味しく、ああ、なんということなのだ。
焼肉まで東京の方が「ダンチ」で上なのだと打ちのめされた。
肉に感嘆しつつ、わたしは先日読み終えた「パチンコ」について息子に語った。
四世代に渡る物語で、世代をまたぎそこに逆境が横たわればそれだけで胸に迫る。
次へと繋ぎ、横に縦にと生き延びる。
それが人の本質だからだろう。
普段ことさら意識しないだけで、わたしたちは誰ひとり例外なく苦難を乗り越えて来た者らの系譜に属し、その者らと今も共にあるのだった。
曾祖父母や祖父母など負けぬよう粘った者らの心や願いを思って語り、負けが込んで負けに甘んじたわたしの話を息子が同じ轍を踏むことがないよう詳説した。
もしかしたら勝ちなどスポーツの場面に限定された虚構と言えるのかもしれない。
だから端から勝ちなど望みようがないと思うのが正しいとも考えられる。
負ける流れと負けまいとする流れがあるだけのことであれば、後者の意気地を積み重ねることが成し得る最上の戦略と言えるだろう。
若き頃、わたしはそうと分からず勝ちを夢想し、一日一日という足元の現実に対峙せず敗北の孤島へと流されてしまった。
次の日が祝日だと二男はその場で知った。
それで午前中の予定が空いた。
ホテルにベッドの増設を頼み、食後、息子を引き連れJR新宿駅へと向かった。
雨はまだ降り続いてた。
家内が二男と同じ傘の下、新宿の明るいネオンのなか腕を組んで歩く。
そんな様子を後ろからみて思う、なんて幸せなんだろう。
そう言えばちょうど二年前の同じ頃。
ベイコートに泊まった際、そこに長男が合流した。
天王洲アイルのTY HARBORの水上ラウンジ席で食事した後、まったく同じような場面があった。
その日も雨だった。
食後、一つ傘の下、家内が長男と腕を組みイルミネーションに美しく照らされた運河沿いの小道を歩いた。
なんの変哲もない雨が黄金。
東京の雨は光り輝いていた。
遠い先、そのように思い出されることだろう。