門の開く音がしたので外を覗いた。
朝9時前、家内が自転車をこいで颯爽と出かけていった。
ジーンズにニットという格好でリュックを背にしているからまるで学生に見える。
朝、卵を焼いて肉を焼き食事の用意をさっさと済ませて、いま本業は勉強。
これで図書館にこもって、途中サロンでマッサージを受けるものの閉館の時間まで過ごすのであるから大したものである。
息子らが巣立って、あとは自由。
コロナが収束すれば留学にも行くと張り切っている。
その遠ざかる背を眺め家内が経てきた道のりに感慨を覚え、次に息子らが大学に合格したときの喜びがしみじみと込み上がってきた。
長男のときは馴染みの神社で手を合わせてから鳥居の下で発表を待った。
まさにロシアンルーレットの引き金をひくようなもの。
iPhoneを手に、震えた。
二男のときは神社で手を合わせた後、銀行で用事を済ませ、刻限が迫っていたので人の気配少ない開店前のウイステ2階の入口前で待機した。
発表は開店と同時。
二年前と同様、iPhoneを手にしびれるような時間を過ごした。
画面をクリックし一瞬の間を置いて合格と表示されたときの喜びはなんと言えばいいのだろう。
へたりこむような安堵を覚えたことだけは確かなことだった。
結果の確認を家内はわたしに託していた。
だからまず先、家内に報せた。
もちろん家内も喜んだ。
続いて本人に連絡し、父に電話し、母に電話した。
ああ、よかったよかった。
皆が皆、ほっと胸をなでおろした。
が、合格発表は喜びばかりではなかった。
特に最後の発表は実に素っ気なくつれないものだった。
長男のときは、普段どおりに過ごそうと思ってジムのトレッドミルの上で見た。
タイポグリセミア現象というのだろう。
似た数字が長男の受験番号に見え、わたしは歓喜しかかった。
が、じっと見つめてほんの少し数字の配列が違うと気がついた。
いつものメニューを中途で切り上げ、わたしはジムを後にしその後の記憶は全くない。
二男のときは、自室。
発表の画面にアクセスできず焦っていると、東京にいる長男が先にアクセスし写メを送ってきてくれた。
結果は長男が先に確認したとおり。
その日も後の記憶が全くない。
最後の発表はどちらも愛想なしだったが、通して見ればそれなりの難関に複数受かっていたのだから戦果としては上々。
それでよしとしなければ、欲張りにもほどがあるという話だった。
そのように差し引き喜び大にて受験は終わった。
二人が小4から塾に通い高3に至るまでのべ十一年間。
わたしたち家族は受験という長い行程から解放されたのだった。
振り返れば、神経が張り詰めること避けられない長い長い道のりであった。
で、MVPを選ぶとすれば家内に他ならず、家内がいたから息子らはスポーツに励み交友関係を充実させ、ここいちばん勉強もするという実り多くも濃厚な小中高生活を過ごすことができたのだった。
彼らが東京に行っても寂しくない。
家内はそう言う。
なぜなら息子に対しできることはすべてやり切ったから。
彼らは巣立ってあとは自由で家内も自由。
だからもう、みんな揃って好きにすればいいということになる。
今夜も何か家内の喜ぶものを買って帰ろう。
そう思った。