東京滞在の二日目は雨。
家内は朝から買い物に出かけ、いつもの平日と同様わたしは業務に勤しんだ。
昼をまわり一段落したところでホテルの部屋を出た。
いま伊勢丹にいると家内が言うので、副都心線で新宿三丁目に向かった。
レストランフロアで待ち合わせたが、どこも待ち客で溢れていた。
そこに見知らぬ関西人の中年が通りかかった。
「えげつな、ごっつ混んどるがな、こらあかんわ」
聞こえよがしな関西弁に気負った自意識が感じられて痛々しい。
おそらく地元で話すより出力過多になっている。
ここに関西人あり。
そんな空疎な自己主張に、同郷の者として小っ恥ずかしさを覚えた。
別館であるメンズ館のレストランに空きがあった。
家内はパスタ、わたしはハンバーガーを頼んだ。
このところマクドナルドに列成す人々をよく目にしていて意識の奥底にハンバーガーへの憧憬があった。
メニューにハンバーガーを見つけてチョイスに迷いはなかった。
腹ごしらえを終え家内に伴われ伊勢丹のなかを上から下あちこち歩いて疲弊した。
なんとか力を振り絞りそこから中央線で高円寺に向かい、駅を降りてまず先、駅前の老舗喫茶トリアノンでお茶休憩をとった。
雨降る駅前の光景を家内とぼんやり眺めて過ごし、一時間ほど。
体力が回復したところで、息子への手土産とするケーキを見繕ってから街を歩いた。
遊びに来る友人ら皆が高円寺を好きになる。
息子からそう聞いていたが、夫婦で納得した。
息子の住まいは商店街を右に折れてすぐの場所にある。
わたしが東京で暮らし始めたのは、30年以上も昔のこと、ここからほど近い野方でだった。
時間を停めてそこに戻り、息子が新しくやり直すようなもの。
青く未熟で痛々しいわたしの時間が息子によって補修され塗り替えられる。
わたしのようなパッとしない男で終わらぬよう、息子に話さねばならないことはいくらでもあった。
ようやくその機会が訪れた。
夕刻、雨の高円寺。
傘を畳みエントランスに入り、息子の部屋番号を押した。