毎朝体重を測っている。
だから、数字として把握していた。
家内が留守の間、食がほんの少しカオスとなった。
それに伴い、体重がほんの少し増加した。
体重測定を日常化して以降、「横ばい時折減少」といった状態を維持していたから、増加したのははじめてのことだった。
といって、たかだか1.5kg増えただけのことである。
大したことはないはずだった。
が、朝のこと。
家内の前を横切ろうとしたとき、家内が声を上げた。
異変を目の当たりにして仰天した。
そんな様子で叫ぶものだから、犯行現場を目撃された犯人のようにわたしはそこで固まった。
太ったと咎められ、その糾弾口調は強く激しく、警報が鳴り響いているも同然で、わたしはただただ狼狽する他なかった。
そして意識の低さ小ささについてこんこんと説教され、太ったことについて呆れられ、反論の余地はなく、わたしは内心ぐっさりと傷ついた。
だから、一日、気分が思わしくなかった。
多感な少年が自らを恥じ、身の置き場をなくしたようなものであった。
物陰で隠れて過ごすようにして、自身を憐れみわたしは終始俯いて過ごした。
しかし、家内の「檄」があったからこそ。
食にブレーキがかかった。
わたしは朝はついばむ程度、昼も小さな弁当ひとつで済ませた。
午後、東京の疲れをエステで癒やすという家内に同行し、わたしはサウナでたっぷりと汗を流し、平日だからお酒も飲まず夜も簡単に済ませた。
そのようにして一日が経過した。
今朝もまた体重計に静かにカラダを預けた。
そして、わたしは歓喜した。
1.5kgなど簡単な話なのだった。
わたしは学んだ。
太ると悲しい。
だから、カラダは大きくなっても器が小さくなる。
これは男子として致命傷になりかねない。
1.5kgなど、いかほどのものでもない。
しかし、その数字がもたらすものは小さくない。
今日、わたしは明るく自信満々、軽やか颯爽としている。
この感じがとてもいい。
だからわたしは家内の檄を胸に刻む。
もう二度と悲しい思いをしたくない。