大晦日の夜、先日二男にしたように家内が手巻き寿司を長男に振る舞った。
中トロと牡蠣が具材となってそこに友情出演といった形でステーキが登場し手巻き寿司の向こうを張った。
食後、紅白などではなく007スペクターを大画面で観て、長男が家内に筋立てを解説し、やっとはじめて家内のなかいろいろな疑問が解消したようで、更にいろいろと質問するものだから、結局、二人でずっと喋っているようなものであった。
そんな様子を傍らで眺めて思う。
長男にとってこの帰省は実にいい骨休めとなっていて、これでこそ里帰りと言えるのだろう。
続いて昔のように家内が長男にヘッドマッサを施して、リビングのくつろぎ感はますます増していった。
大晦日であってもわたしの早寝早起きの習慣は変わらない。
一足先に寝床に入った。
明けて元旦。
地元神社で手を合わせ実家に向けクルマを走らせた。
運び込んだ各種食材で家内が用意したのはすき焼きだった。
うちの家族四人で親父を囲み、朝からたっぷり肉を食べてから母の眠る霊園へと向かった。
一年などあっという間である。
昨年の1月2日、箱根駅伝往路の中継を聞きながらハンドルを握った記憶が新しい。
そのとき後部座席に座っていた母が今はいない。
元旦の人出は1月2日と異なった。
大勢の人がなにはさておき真っ先に先祖が眠る墓に駆けつけるのだと知った。
小雪舞うなか母に手を合わせて、皆が思ったはずだった。
来年も再来年もずっとこの先も元旦にここを訪れることになるだろう。
あまりに寒いから家に籠もると父が言うので実家まで送って、わたしたちは帰途についた。
友だちと会う約束をしていた長男を送り出し、残る三人で食卓を囲むがいつしか母の思い出話になって三人が三様に泣いてだからずっと泣き止まないという状態になった。
結構飲んでそのうち二男はリビングで寝入って、その寝顔を眺めながら夫婦で子育て時代を懐かしんだ。
そのうちわたしも寝入って、夜9時過ぎ、皆の笑い声で目が覚めた。
長男と二男が家内からヨガの手ほどきを受けるがビギナーのポーズは決まらず滑稽で、それで兄弟が笑い合っていたのだった。
家族四人全員集合。
これでこそ元旦、そう思ってそんな光景を写真に撮った。