元旦の朝、家内が準備してくれた料理をクルマに積んでわたしはひとりで実家に向かった。
以前は親戚中が集まった。
その食事の世話で母はたいへんな労を強いられた。
コロナがあってそんな宴会は取りやめになった。
のんびりと過ごせる正月をたった一度だけ迎え、その年の5月に母が他界した。
「昨日はゆっくり眠れたわ」
正月の墓参りの道中、母の言った言葉がいまも耳に残っている。
母にとってそれが最後の墓参りになるなど思いもしなかった。
「十年せんうち、あたしもここに入るんやわ」
墓参りを終えて母はひとりごとのように言った。
その言葉もまた忘れられないものとなった。
ちょっとした風習のなかに男尊女卑といった思想が根強く潜む。
うちの実家の元旦など、その最たるものだったといまでは分かる。
いったいなぜ母はそんなたいへんなことを義務として引き受けねばならなかったのだろう。
わたしが強く出て止めるべきだったとの悔いがいまも残り、他に止める者がいなかったことに恨みのような感情も湧いて出る。
だからその宴会で飲んで騒いでいた親戚とわたしは今後ただただ疎遠になっていくだけだろう。
母にどれだけの負担を強いてしまったのか。
父がそれを理解するのは母がいなくなってからのことだった。
この日の朝、わたしと父の二人だけで食事して、それから二人で墓参りに出かけた。
誰にも負担がかからない。
これが理想の元旦だとわたしは思う。
家では家内が息子たちの料理づくりに勤しみ、実家ではわたしと父が墓参りをして過ごす。
こっちはこっち、そっちはそっち。
こうした線引きによって無用な気遣いが排される。
双方にとって益、と言って間違いないだろう。
この先、父を見送ったあとも含め墓参りをするのはわたしだけでいいと思っている。
父と母の息子としてその役目を全うし、そしてわたしにお迎えがくる頃には墓じまいをしてこの風習に幕を引く。
墓があろうがなかろうが、家族の思いに何か差異が生じる訳もない。
大阪星光の友だちと初詣に出かけていた二男が元旦の昼に家に戻り、西大和の友だちと梅田のゴールドジムで筋トレしていた長男が夕刻、家に戻った。
夕飯は家族四人で鍋を囲んだ。
女房の表情は幸せそのものだった。