武庫川を走っていると、お年寄りが一人でサッカーボールを蹴っていた。
腰も曲がっているのに、珍しい。
そう思って目を凝らすと、老人の向こうにそこらを駆け回るお孫さんの姿があって納得した。
一緒に遊んでいるのだった。
走りつつ思いは過去へと向いた。
わたしも小さい頃はよく祖父に遊んでもらった。
自転車であちこち連れて行ってもらった記憶は鮮明で、祖父と一緒にプールで水遊びした記憶も微かに残っている。
いま思えば随分と可愛がってくれていたのだと分かる。
で、そこから想像が広がった。
祖父はわたしが高校3年のときに亡くなった。
だからうちの長男と二男の姿を見ることはなかった。
もし健在な時期に会うことができたら、どうだっただろう。
同じように自転車に乗せ連れ回し、プールで遊び、文字通り、溺愛したに違いない。
それで気づいた。
ああ、なるほど。
わたしたちは単に一人や二人から愛される訳ではない。
亡き者からの愛情に思い至れば、途方もないと理解が及ぶ。
わたしたちは無数の者から愛される存在なのだった。
会うことができたら、どれほど可愛がってくれたか知れない。
今度墓参りする際、息子らにそう語って聞かせよう。
雲間から覗く陽射しを受けつつ走り、そう思った。