KORANIKATARU

子らに語る時々日記

母業という孤高の道

日曜の夜、家内が予約したのは珍しくも焼鳥屋だった。

さくら夙川駅で合流し、二階の座敷で向き合った。

 

焼鳥である。

生ビールから始めるのに両者異存はなかった。

 

注文の度、家内がバイトの青年に話しかけ、関学の大学生だと分かって、だから家内の話はいつものとおり息子のことになり、先日、芦屋ラグビーの少年を見かけていたことも手伝って、その頃のことから思い出話がはじまった。

 

家内が振り返る。

練習場への送迎だけでも大変だった。

試合ともなれば遠方になるから、行って帰るだけで一日が終わった。

 

送迎に加えて各種当番があった。

水当番やメディカルなど責任も伴って、たいへんさが倍増しになった。

 

どう語ろうにも、家内の言葉は「たいへんだった」という一語に行き着いた。

 

もちろん練習の日以外にも労を割いた。

コンタクトスポーツであるから、カラダが資本。

怪我をしては元も子もない。

 

食事に気を使い、時間があれば鍛錬するよう子らに声をかけ、時には一緒に公園でランパスまで繰り広げた。

 

結果、子らはみるみるたくましくなっていった。

 

運動ができてこそ。

家内にとっていつしかそれが子育ての理念となった。

 

だから、大阪星光の懇談で担任の教師に家内はこう言った。

多少成績が下がっても大丈夫です。

勉強をやめても部活だけはやめるなと息子には言ってあるんです。

担任はその言葉を一言一句、メモ帳に写し取った。

 

そのように子育てに傾注しているうち、自身を照らすばかりのチャラチャラしたようなママ友らとは疎遠になって、超然と独自の道を進む母たちと一歩の距離から認め合うという関係だけが残っていった。

 

芦屋ラグビーなど特にそうであろう。

一見、群れ集うように見えて、皆が孤高。

そうでなければ真剣勝負の場にて息子の「推し」は務まらない。

 

赤ワインに続いて白ワインも飲み干して店を出た。

冷え冷えの風が吹き、夜空を背景に小雪が舞う。

が、息子らの話で熱くなっていたから寒くない。

思い出の余韻にひたりつつ、二人並んで駅へと向かった。

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2022年2月20日 さくら夙川 鶏天(とりてん)