たまたま通りかかって、懐かしさにひたった。
当時、長男が年長で二男が年少だった。
ふたり仲良く大阪市内の幼稚園へと手をつないで登園していた。
ちょうどいまと同じ春先の時分、入園したばかりの弟は兄がいたからさぞ心強かっただろう。
昔なじみの通りを歩き、思い出にひたってわたしは小さな息子二人の背を追った。
数珠つなぎで様々な記憶がよみがえった。
子らは小さく、家内は若く、わたしは駆け出しの若造で必死のパッチだった。
ついこの間のことに思えて、しかし、隔世の感がある。
時間は連続し、かつ節目節目で舞台が一から十までがらりと変わった。
だから振り返れば、過去が地層の断面のようなものに見え、息子が二人いたから区分の数は結構多い。
生まれる前の時代があり、生まれて飛び出て、そして幼少の頃があり、やんちゃざかりのちびっ子時代があり、十代に差し掛かり、思春期を経て、いま青年期へと至った。
家内と子らとそれら時代を一生懸命駆け抜けた。
思えば、いつだって楽しく充実し、いまもそう。
息子二人の成長を見届けることができた。
なんて幸せなことだったのだろう。
しぶとく咲き誇る下町の桜を背景に、数々の思い出を重ねて咲かせ、通りを歩く。
ただそれだけで胸は喜びに満たされた。