午前中に梅田でのジム活を終え、家内は宝塚へとクルマを走らせた。
そこで美容のケアを受け、パルヤマトで買物をしての帰り道、散歩するチャッピーを見かけた。
いったん行き過ぎたが急停車してクルマをバックさせた。
おひさしぶりです。
家内は運転席から降りチャッピーのおばさんに声を掛けた。
かれこれ16年も前のこと。
長男がいよいよ小学校にあがるという直前、わたしたちは大阪市から西宮市へと居を移した。
大阪の下町でこのまま育てば息子はワルになる。
家内はそう確信していたから西宮への転居は差し迫った懸案事項になっていた。
ところが自営業者であることが災いして、なんてこともないマンションであっても入居審査で袖にされることが立て続いた。
家内はほんとうに切羽詰まった心境に陥っていた。
そんなとき、たまたま新築の一軒家が賃貸に出た。
審査はオーナーとの面接だけということだったから一も二もなく申し込み、夫婦揃って面接に臨み、土壇場で晴れて西宮の家に入居できることになったのだった。
その隣家で飼われていたのがチャッピーだった。
息子たちはチャッピーを可愛がった。
散歩のときは余計なお節介かもしれなかったが道を先導し、チャッピーと心ゆくまで戯れた。
しかし今度は二男が小学校にあがる直前のこと。
思えば息子たちの節目節目で、家族史に太く大きく刻まれる出来事が附随する。
縁があっていまの家と巡り合うことになった。
それでチャッピーとは疎遠になった。
だからたまたま見かけて家内が素通りするはずはなかった。
当時はまだ生まれて間もないチャッピーがいまは老犬になっていた。
眼も見えにくくなっているとのことだった。
おばさんと思い出話に花を咲かせ、あのちびっ子たちがいま東京で暮らすことを伝えた。
おばさんは、たいそう驚いた。
いわばチャッピーのお付きの二人が青年へと立派に成長しているのだから、遠くをみるように目を細めるのも当然の反応であっただろう。
そのように立ち話が長引いて、わたしとの待ち合わせに家内は大幅に遅れた。
間に合わないからタクシーでと思いはじめたところで家内が現れ、ちょうど駅前にやってきたバスに駆け込んだ。
この日は月一回の鮨たけ屋の予約の日だった。
なんとかコース開始の定刻に間に合って、各自慌ただしく過ごした一日をまずはビールでねぎらった。
毎月たけ屋に通うが、毎月おいしい。
いつもどおり味覚のメーターが何度もMAXに振れて、その度に感嘆の声が漏れ出た。
帰りもバスを使った。
すっかり日の暮れた街路を走るバスのなかは静寂に包まれて、通路を挟んで座る家内のうつらうつらとする横顔を見て、わたしははたと思い出した。
遡ること21年前のこと。
この日と同様というよりいつもと同様、わたしたちは二人で過ごしていた。
まもなく、と思っていたから幼い長男を実家に預けていた。
日曜の夜だった。
わたしたちはテレビの映画番組で「GO」を見ていたのであったが、そのとき家内が急に産気づいた。
慌ててクルマを走らせた。
どうでもいいディティールであるが谷町筋のコンビニで家内のための水を買ったことが昨日のことのように思い出される。
家内をバルナバ病院に連れ、明け方まで待合室かそこらの冷え込む夜道をぶらついて過ごし、時を待った。
長男のときと同様。
空が白み、小鳥たちが朝の到来を告げはじめる時に合わせて、産声が鳴り渡った。
たまたま三席取れたから年初はその息子を連れ、たけ屋を訪れる。
それ以外の月は夫婦の二席を押さえるのが精一杯で、しかし来年の12月まで途切れることなく毎月の楽しみに事欠かない。
このようにして、毎月、毎月、百年後も二百年後も楽しみの尽きない人生がずっと続く。
自然にそう思えるから、それがいつか途切れるなどとてもではないが信じられることではない。